こんにちは。文学部2年の岡崎です。

最近日誌の更新が遅くなったことを謝られますが、別に更新してくれれば数日遅れても特に気にしないのになー、と個人的には思ってます。ただ自ら更新日を尋ねておいてその日に更新しなかった2年の伊藤に関しては一切の容赦はなしだ。

そもそもなぜ私が日誌更新の催促をしているかと言うと、それは私がPC係でありそういった雑事を請負っている立場にある、というのもありますが。個人的に日誌を読むのが好きで、また部員日誌の大切さを日々感じているからでもあります。

部員日誌の存在意義とは、という度々部員の間で上がる疑問に対し、私はこう考えます。部員日誌とは、単なる自己満足ではなく、OBを初めとした慶應柔道部と関わりを持ってくださっている方々と我々との繋がりをより強める、架け橋のようなものではないか、と。

 

そう思うようになった出来事があります。

體育會本部の催しで私一人でリーダーシップに関する講習を受けに行った際、講師として柔道部のOBの方が招かれていました。実際にそれまで面識はほぼありませんでしたが、挨拶した際、「日誌は読んでるから!」と声を掛けて頂きました。

ぶっちゃけ、その言葉を聞いた時の第一の感想は「マジかよ……」でした。第二は「下手なこと書いてらんねぇ……」でした。その結果これまでの私の日誌の有様ですがそれについては一旦置いておきましょう。

つまり何が言いたいかといえば、私個人そのものでなくとも、日誌という媒介を通して世界中の人々に触れられ、知られ、把握されているという現状は私達が思っているよりも影響力があって、その分大切なことなのではないかということです。

この柔道部が様々な方々の支えの上で成り立っている以上、そういった方々に柔道部について知ってもらう、というのは当たり前のことです。

知ってもらう形としては、まず何よりも試合で結果を残すことが第一です。が、現に私がそうですが、ろくに試合にも出られない部員もいます。

だったら、こういった誰にでもできる日常や思いの丈を垂れ流すだけの行為でも、やらないよりはマシでしょう。人と人との繋がりで成り立っているこの社会で生きている以上は、相互理解とまではいかなくても、ふわふわとした雰囲気を感じ取るだけでもだいぶ違って来るんじゃないかな? なんて思ったりもします。

と、そんな訳で、私は日誌を欠かさず書こうと思いますし、周りの皆にも書いてほしいと思っています。というか、そんな小難しい理由をつけなくても、単純に、個性の出た文章って面白いと思うんです。大層な意義以外にも、消費的な娯楽としても、私にとっては日誌は無くてはならない物です。すいません、さすがに言いすぎました。あった方が多分良い、くらいです。

 

早慶戦の前には4年生が最後(?)の部員日誌を更新します。何を書くかは分かりませんが、例年通りで推定すると涙腺が熱くなるハートフルな文章の連続になることでしょう。

と、4年生へのハードルを無駄に上げたところで、失礼したいと思います。