雨が続き気分も下がりがちになってしまいますが、皆さんは元気にお過ごしでしょうか。ご無沙汰しております松永です。
来る九月四日、東京都学生個人戦が日本武道館にて開催されます。何度も経験してきたにも関わらず、試合前の緊張感は未だに慣れることはありません。軽量日の前日に当日誌を書いているのですが、体重も順調に落ち、残すは試合で最善を尽くすのみとなりました。応援してくれる方々のために、自分のために、塾柔道部の誇りを胸に闘ってきたいと思います。
さて、今回は大切な試合を目前にしての心境を告白したいと思います。
はっきり言うと逃げ出したい気持ちでいっぱいです。負けたくない、醜態を晒すような負け方は嫌だ、楽して勝ちたい、不戦勝で勝ち上がりたい、全員欠場してしまえ、自分にラッキーなことが起こらないか、と思っています。今回だけではなく試合前は必ずこのような心理が芽生えます。僕だけではないのではないでしょうか。格闘技の世界に身を置く者として絶対に負けたくない、だけど苦しい思いもしたくない、楽して勝ちたい。このような安「易」な考え方は人間の性です。どれほど鍛えた人でも、プレッシャーから来る弱い精神を完全にコントロールできる人なんてできないのではないでしょうか。
願わくば当日が訪れなければいいと思う。それでも刻一刻と迫る決戦の日。期待外れな結果を出せば、これまで積み重ねてきたことが無駄だったと思えてしまう残酷な勝負の世界。もちろん負けて今までの全てが無に帰すわけではありませんが、そう思えてしまうほどの悔しさが存在します。ですが必ず過半数の人間はその悔しさを味わうことになります。僕はその過半数になりたくありません。今までやってきたことは無駄じゃなかったと実感したい。
このような弱気とプライドのせめぎ合いの中で思い出すのは高校時代に聞いた話。「対戦相手は殺すつもりで血眼になって襲い掛かってくる。気圧されない気持ちがなければ勝利などあり得ない。」
高校時代の自分はもちろん分かっているつもりでした。しかし認識が甘かったです。日々の稽古、トレーニング、辛かった夏合宿を乗り越えた今、負けることなど許されていいはずがない。相手が誰でも不甲斐ない結果を出せばこれまでの自分は死んでしまう。最近はそのように考えるようになりました。
先日行われた実業団の試合をご覧になられたでしょうか。古賀颯人先生が執念とも言える優勝を飾り、心が震えました。僕では考えられない程の期待とプレッシャーを抱え、地獄の様な鍛錬を重ねた末の辛勝。トップアスリートの肉体と精神をもってしても勝利を掴むには血眼になって執念で闘うしかないのかと思うと、試合の過酷さを実感し、次の日の稽古からは足がすくみ始めました。一挙手一投足が敗北につながると考えるとむやみに動けなくなりました。そして真に高校時代に印象に残った言葉の意味を理解するに至りました。試合は互いに命を懸けた殺し合いだと。九月四日に僕は死ぬかもしれません。「試合前は死んでもいいように準備をしておけ」の教えの通り、友人達と目一杯話す、髪を切る、部屋を片付ける、といった今生最後のテンションで試合前を過ごしています。さしずめ召集令状が渡されたような気持ちです。それほどまでに今回の試合に全てを懸けています。絶対に勝ちたいです。
相手を射殺すほどの闘志を見せ、勝利したいと思います。
思いの丈を綴ったのみで大変拙い文章になってしまい申し訳ないのですが、これにて失礼させていただきます。