拝啓も暮れ、おはようございます、高です。
年があけて何を綴ろうかと過去の自分の日誌を見て我ながら驚愕、日誌とは。
ということで今回限りは日誌らしい文章を心がけてみます。
2021/12/12
早慶戦優勝、総力戦の幕開け。1と2おおいな。
2021/12/13 「青い」
銀座へ清川あさみ氏の個展へ入りました。ファッションアートの劇場、彼女に見えている世界は全く僕には新しく、触れることに違和感を覚えます。そんな時清川あさみ、最果タヒ共著の「千年後の百人一首」という本に出会いました。
「かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもひを」
第51首、藤原実方朝臣の詠んだ僕が一番好きな1句です。
「かく」は「このように」という意味の副詞で、「だに」は「~すら、さえ」という打消しの副助詞。得(う)の連体形「え」と反語の係助詞「やは」で不可能を表し、「いふ」を「伊吹山」と掛ける掛詞としています。さしも草はお灸に使うもぐさの原料。「さ」は指示、「しも」は強意、「な」は詠嘆。そして最後はストレートな思いです。
長くなりましたがこれらすべてをまとめると
「こんなにあなたをお慕いしていることさえも伝えられないのです。伊吹山のさしも草のように燃えるような思いを、あなたはこれほどまでとは知らないのでしょう。」
こんなところでしょうか、たった31語のストーリーです。平安時代の言葉遊びの奥深さには圧倒されるばかりです。
この句を彼女らは著書でこう解釈しました。
「言葉を尽くしても、言葉は燃えてはいかなかった、あなたの体を焦がしてみたいと、じりじりと赤色が今も私の喉でゆらいでいます。どんな歌を送っても、歌は燃えない、私の指も息も燃えない、私を、焼き切るこの愛しさを、あなたはまだ、知らずにいる。
(「千年後の百人一首」より一部抜粋)」
1000年。1000年越しに解釈されて輝くこの句が本当に美しいのです。
2021/12/17 「KITAKU BEATS」
稽古後の帰宅道中並木道、YOASOBIの「大正浪漫」という楽曲と聞いていたところスマホの充電がなくなり、曲は聞けずスマホを使うこともできなくなったので、とりあえず大正浪漫ゲームをしながら帰ることにしました。大正の浪漫といえばやはり芥川や賢治ら文豪、ということで大正人になりきって自分が考えたこと感じたことしたことをその場で言語化するだけの単純な言葉遊びです。例えば、「電車が来る。空いていてほしいけどいつもこの号車混んでいるからな。今日だけ全員降りないかな。黄色い線踏んじゃった。これ赤色だったらなんかタコ踏んでるみたいでいやだから黄色でよかった。あと黄色だから平山喜びそう。電車来た。ドアが自動で開いた怖い。そして驚愕。みんな耳栓して長方形の板を見つめている異様な光景。」 こんな具合です。なんだこれ。
2021/12/25 「あぁ、もう。」
初めてのバー。初々しいのもなんか恥ずかしいのでメニューをみて「暗黙で。」と精一杯繕って注文しました。すると入店してきたお兄さんが隣に着席、メニューを見ることなく「お兄さん、キャリアウーマンで!」と一言。かき集めた余裕を一瞬で持ってくなよ。
2021/12/30 「美しい日」
年末日本最大のロックフェス、「COUNT DOWN JAPAN 2122」に参戦してきました。今年のスローガンは「Don’t stop the music! Don’t stop the Festival!」。ロッキンを筆頭に数々のイベントが中止になったなか、僕自身フェスに参加できたのはこのCDJ今年3回目で、1人としてコロナウイルス感染者を出すことなくフェスを作ってくれたアーティストや主催者、スタッフや参加者全員に感謝しかありません。
「今年悔しかったこと悲しかったこと全部ここにおいていけなんて言いません、全部があなただから、全部来年に持っていきましょう。音楽やライブハウスに力があるんじゃない、音楽をやってる、聴いている、ここに足を運んでいるあなたに力がある。
あなたが音楽を好きなら、それで無敵。強いってことではなくてそもそも敵なんていないってこと。(SUPERBEAVER Vo.渋谷)」
人としてかっこよく生きていたいと強く感じた1日でした。来年は声を上げられますように。
2021/12/31 「しょうもな」
車の中で友達と二人、今年やり残したことを今からやろうと考えましたが二人とも何も思いつきませんでした。今年の単語は?と聞かれ、真っ先に浮かんだのは「革命」の二文字でした。今年のベストショットを選ぼうとカメラロールをさかのぼっていると選ぶことができませんでした。それなりにいい1年だったのではないでしょうか。
2022/1/1 「ファンファーレ」
湘南の寒川神社で新年を迎えました。寒川神社は毎年40万人以上が参拝に訪れるそうで、深夜ですが人混みが苦手な僕には苦しい人ごみで賑わっていました。参拝の列に並んでいるとき、友達が「やっぱ日本は平和だね。」と呟いたのを拾って少し考えました。真夜中に氷点下の気温の神社に集い、今年も無事新年を迎えられることを一体となって喜び、希望や不安を抱えながらも神様に祈る。もはや当たり前ともいえる光景ですが、たしかに平和で楽しい日本文化であると思います。しかしそこに覚えたのは今年ならではの違和感。神社にコロナウイルス対策、ソーシャルディスタンスは全く存在しませんでした。そこら中にいる警備員も列を整備するだけでコロナウイルスがなかった頃と何も変わらない初詣を素直に喜べないのです。なぜこの惨状は許されるのか。女優にばかり気を使ってもいい舞台はできません。
このやるせない渇きを初日の出で潤そうと思いましたが去年に引き続き元旦はアルバイトがあったので今年も初日の出を見ることはかなわず。オール明けで憂いが残る頭は回っていませんでしたが、仲間の「あけましておめでとう!」すごく元気が出ました。もしかして魔h、新年からやめましょう。ちなみに「年があけて」の「あけて」を変換にかけると「緋て」「朱て」という文字が登場しました。おもしろい。
寅年なのでトラの話をしたいところですが今回はこれにて失礼致します。昨年は大変お世話になりました。2022年もご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い致します。