暖かいそよ風に青い葉っぱのなびく、春なのか夏なのかすら分からない、唯気の安らぐだけの何らかの季節。霞の立ち込めた意識のなかでぼんやりとしていたら2024年がもう三割も過ぎてしまい、後悔と焦りの差し迫る最近ですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
こんにちは。国文学2年の呉銅敏と申します。今回は、私と文学、特に日本文学との出会いについてお話させていただきたいとおもいます!よろしくお願いします。
私は、実に本というものと一番遠い人生を送ってきました。お父さんがサッカー選手だったため、公園でサッカーの訓練をしたり(小1ぐらいまで厳しくやられましたが、才能なし!と判断されましたのか、やらなくなりました)小3からは、友達に誘われてバスケを始めることになりました。学校が終わったらバスケをするか、友達と遊ぶか、二つの選択肢、それ以外はございませんでした。小学生の時は本当に勉強というものをしたことがありません。
このような、運動好きの男の子も本を読まなければいけない時がありますね。夏休みの宿題です。休み期間中に本を読んで、感想を書く。しかも、絵本はNGだと言われましたので、小説を読まなければいけなくなったのです。はじめて入った図書館には、眼鏡をかけた怖そうな司書さんがいて、高い本棚に数えられないほどの本が並んでいました。本を読むことって、最もつまらないことだと思っていたので、何でもいいから下の段にある本を適当に選んで家に戻りました。当時、私はポケモン・ブラックにハマっていたので(嘘抜きでブラックはもう一日でエンディングまで行ける水準になっていました)、バスケーゲーム―寝るの繰り返しで休みを過ごしていました。
宿題というのは、休みの終わる三日前とかに思い浮かぶものです。課題だって締め切りの一日前とかにやりがちではありませんか、皆さん!ということで、あの分厚くてつまらなさそうな本をもう読まなければいけなくなってしまいました。まあ、読んでみようと、ベッドの上にうつ伏せになって読みはじめました。
私が、読むのをやめたのは、母が家に帰る音が聞こえた時でした。本を読むのが遅すぎて、あまり読めていなかったのですが、午後から母が帰るまでずっと本を読んでいたのです。本を読んでいる間、自我というものを失って、本を読んでいるという自覚もなくして、ただ頭の中で映画が再生されているような感覚を覚え、夢覚めやらぬ面持ちになったまま窓の外を眺めると、いつの間にか世界は暗くなり、なんかいい夜だなあと思われました。もちろん、あの小説は韓国の小説で、あの本以来、また本を読むことはなくなりましたが小説というものとの短い遭遇ができました。
4年後、中3になって、たまたま「僕は明日、昨日の君とデートする」という映画を見たのですが、あまりにも悲しすぎてしばらくは日常生活ができませんでした。学校でもずっと映画の主人公の二人のことを思うと悲しくなって、ずっと落ち込んでいました。クラスの皆にも進んでオススメしました。朝学校に行ったら悲しい顔をしている学生がいると、絶対「僕は明日、昨日の君とデートする」を見た学生でした。私は、みてくれたんだ!といいながら一緒に悲しみましたし、たまに内容の理解ができないという学生もいたので、集めて「僕は明日、昨日の君とデートする」の説明会も開いたくらいでした。この映画をある女の子にもオススメして、見てくれたのですが、彼女は「いい映画だったよ。でも私は、映画より本の方がずっと好きなの。本は自分で想像しながら読めるし、楽しいよ」と言いました。そういわれて、私も小学生の頃の、無我夢中になっていた経験を思い出しては、はじめて原作というものを読んでみようと思って、小説を読んだら映画には出ていない話とかも結構あって、小説の魅力を映画の延長線として理解するようになりました。その後、韓国でも「君の膵臓をたべたい」が上映され、すごく話題になりました。私は「君の膵臓をたべたい」を見て、「世界の中心で愛を叫ぶ」という映画を思い浮かべましたが、最後に通り魔にやられるということは全然予想外の結末だったので印象的でした。これもすぐ原作を読んでみようと思って探したのが、住野よるさんの「君の膵臓をたべたい」でした。映画を見てから本を読むと、主人公の姿がよく見えて、特に浜辺美波さんの顔が見えて、小説もすらすらと読めるようになりました。
この時期というのは、住野よるさんがすごく話題になって、次作の「また、同じ夢をみていた」をすぐ読んでみましたが、初めて映画化されていない普通の本を読んだわけなのに、全然面白くて小説にしかない魅力が感じられました。住野よるさんが作品を発表されましたら、全部読むようになり、「よるのばけもの」、「かくしごと」、「青くて痛くて脆い」、「麦本三歩の好きなもの」と次々と読んで、特に「よるのばけもの」が好きで、勉強はじめたばかりの日本語で住野よるさんのツイッターにコメントを残したのがリツイートされて返信もしてくれました。神すぎます、、、住野よるさんは、「君の膵臓をたべたい」で有名になったのですが、この作品は「小説家になろう」という作品投稿サイトにアップされ、話題になったということを知り、「小説家になろう」というサイトに登録して、当時、詩を書くことが趣味であったのもあり、日本語に翻訳し、アップして、低くはありますが、一日ランキングにも入ったりして、作文の面白さを覚えてしまいました。しかし、いつも読者さんたちから指摘されたのは、日本語でした。私は、ある単語が、日本人にどのようなイメージを与えるのか、想像もつかなかったので、変に難しい単語を使ってしまったり、単純に文法を間違えたりして、外国語で活動することの壁を痛感しました。
高1の時、私はある本を読んでしまいました。それは村上春樹さんの「ノルウェイの森」。私は小説だと、住野よるさんの少し軽い感じの小説しか読んでいなかったので、この「ノルウェイの森」を読んだ時の衝撃からは、浅いだろうと思って、2mのプールに入ってしまった子供のように、良い意味で、もがいてももがいても抜け出せませんでした。この頃からは、もう小説を読むことが当たり前のようになり、東野圭吾さんの「ナミヤ雑貨店の奇蹟」や辻仁成さんの「冷静と情熱のあいだ」など有名な小説を読み始めました。悲しいことに、高1半ばから高2まではゲームが好きすぎて、本はもう読まなくなり、高3は受験で読む余裕がありませんでした。なので、また小説に別れを告げ、何年間会えないことになってしまいました。
受験が終わって、日本から戻ってきて韓国にいた時、もう小説を読もうとしても、久しぶりすぎて読めなくなりました。また、ゲームの方がずっと面白かったので、ひょっとしたら本当に小説と永遠に離れるようになったのかもしれません。しかし、小説とまた再会できたのは、軍隊に入隊する直前でした。軍隊に最初入ったら訓練所というところにまず入るのですが、結構時間が余るという話を聞いたので、本でも読んでみようかなと思って書店で本を選んでいました。でも私は小説のこと、あまり知っていないし、有名な作家とか作品とか全然分からなくて、書店で一時間ぐらいずっと回るだけで選べませんでした。その時、同じシリーズの本のようで、デザインとかサイズが一緒な本が並んでいるのに、途中に全然違うデザインの本が挟まれているのを発見しました。私はなんだか運命みたいなのを感じて、その本を取り出し、なんか聞いたことがありそうな作家さんだなあと思って買って、訓練所で読んでみました。
それはそれは衝撃!彼の書いた文章一つ一つが面白くて、本自体が変な雰囲気を醸し出すのでした。その本は夏目漱石先生の「こゝろ」。芸術作品というのは、作家の名前に大きく影響されるという話も結構あると思われますが、夏目漱石先生の名前と名声も知らずに、このような衝撃を受けたということは、彼の作品がすごいとしか言いようがありません。携帯もないので、暇があればこの「こゝろ」を何回も繰り返して読み、夏目先生の他の本も読みたくなりまして、休暇で家に戻ったらすぐ彼の作品を買って復帰しました。「坊ちゃん」、「それから」、「坑夫」、なに一つ面白くない作品がございませんでした。夏目先生の影響で、日本文学に強く興味が湧いて、太宰治さんの「人間失格」、「斜陽」、「走れメロス」などを読み、本当に幸せで豊かな文化生活ができるようになりました。
やっと三等兵になった頃、ジュンが私に一冊の本をプレゼントしてくれました。それは芥川龍之介先生の「羅生門」。私とジュンは、その頃、夏目先生と芥川先生と、どっちの方がすごいか結構論争していて、いいから読んでみてという意味で送ってくれたのでしょう。最初に出てきた小説は「鼻」、次は「芋粥」、「羅生門」、「地獄変」、「河童」、、、また新しい世界が開かれました。日本にはこんなにすごい作家さんが多いのか、、、芥川先生の本を読んで、私も小説家になりたいと思うようになり、短編を書くのが趣味になってブログにあげたりするようになりました。その頃から、私の夢は芥川賞をもらうことになったのです。
日本に来てから、色んな趣味ができました。その中の一つは、墓参りです。月一回は、夏目先生と芥川先生のお墓にうかがうことが、習慣になりました。たまに変な人が、お墓の前に吸い殻とかを捨てていくので、それを掃除したりします。そして、いつも私を弟子にしてくださいと願うのです。私も先生みたいに素晴らしい小説が書けるようにしてくださいと。たまに鼻で笑われているような感じがします。お前なんかが俺の弟子になれるわけないだろうという意味で受け取ってしまうのですが、図々しく、祈りつづけるしかないのです。これをジュンに言ったら「お前気違いなの?」って言われました。確かに、おかめには自分が変な人に見えるかもしれません。でも、本当にお二方の霊園は、特に芥川先生のいらっしゃる霊園は居心地よく、本がすらすらと読めるのです。。
200年後、自分のお墓というのは、どうなるのでしょうか。見にきてくれる人が一人でもいてくれるのでしょうか。この世に、確実に存在しながらも、蝿(はえ)と猫しか来てくれない、そのような寂しいお墓になってしまうのでしょうか。もっと後になって、人の墓を作れる土地がなくなってしまうと、私の墓は、一言も言えずに撤去されてしまうのでしょうか。死の儚さと、余生の短さが恐ろしい。だから私は、小説という遺書を残して、この世界から消えないために、もがこうとしているのかもしれません。
そうです。小説というのは、皆の遺書なのです。自分にしか持っていない、人格のすべてをつめた遺書。だから本は、どのようなものよりも、ある人間の人生が味わえる、よく実った果物みたいなものです。皆さんもこれから小説を読んでみませんか?好きな小説がありましたら、ぜひお教えください。ありがとうございました。
おわり。