春眠暁を覚えず。

 除隊して半年ぐらいは、アラームなしに6時に起きていたのですが、この春は、夜にアラーム設定を忘れたら一限どころか二限も優に遅刻してしまう程、ぐっすり寝てしまうし、アラームを止めた記憶もないのに起きたら自主休講したくなる時間になっていた時もありましたが、皆様は最近暁に一日の始まりを迎えていらっしゃるでしょうか。私は不規則な睡眠と、寝る前のユーチューブ視聴、なやみごとなどで、ちゃんと睡眠がとれていないように思われます。夏に入ってからは、気持ちよく起きられるよう頑張りましょう。

 こんにちは。文学部2年の呉銅敏(オ・ドンミン)と申します。今回は、コロナ隔離中に予め書いておこう!ということで色んな話をさせていただきたいと思います。多分長くなるだろうと思いますので、最後までご精読していただければ幸いです。まずは、留学生はどのようなルートで慶應もしくは日本の大学に入学するのか、結構聞かれたりするので、それに関して、また私はどんなふうに勉強してきたのか書かせていただきたいと思います。

 私が日本という国に最初興味を持ったのは中学3年の時でした。もちろん、前回の部員日誌にも書いたように、中学生の時は日本のロマンス映画が好きで、「僕は明日、昨日の君とデートする」や「君の膵臓をたべたい」、「君の名は。」などを見て涙を奪われたわけですが、日本という国自体に別になにも考えていなかったのです。しかし、3年の夏、ジュンというやつと日本に行くことになり、九州の福岡とその辺りを三日間ツーアしました。はじめての海外旅行だったので、異国への神秘さ?わくわく感?みたいなものが日本ではじめて味わえたわけだし、外国語で実際外国人と会話をするという経験がすごく新世界のように感じられ、語学への興味が湧いてきました。

 冒険好きの私は、未知の世界へ出ていくべきだと思いました。それで、まずは日本に出て、留学してみようと思うようになりました。中学3年生の時は、日本語をちゃんとしたカリキュラムによって勉強したりはしていなかったのですが、「僕は明日、昨日の君とデートする」を何回も繰り返してみて、日本語というのが何なのか少しは分かるようになりました。高1になってはじめて日本語能力試験、JLPTという試験を受験することになり、半年でJLPT一級獲得に成功しました。しかし、呉銅敏という人間の本質というのは……

 私は頑張ることのできない人間でした。

 私は今までの人生の中で一生懸命に頑張ったことが滅多にありません。中学生までは、試験前日ぐらいに勉強してなんとかセーフしてきて、高校は、中学の時の成績で進学するシステムだったため、なんとか満足できる進学校に行けました。そして、慶應も。高1と2の時の日本語の成績が全国でも優秀な方だと言われ、驕ってしまい、本当に遊んでばかりいました。何もできていないまま、日本語も1年の時のまま迎えた高3の残酷な現実は顔合わせることすら苦しいほどでした。早慶以上の大学に行くには、TOEFLの成績が優秀でなければいけませんでしたので。

 私より、日本語の勉強を後からはじめた学生たちも、私より受験科目に対して万全な対策を整え、身につけていました。一方、私は自慢としていた日本語の成績だけで、他の学生たちなら高1の時から入門する、日本留学試験(文系の場合、日本語(読解、聴読解、聴解)、日本語作文、数学、総合科目(政治、歴史、法、経済))の科目の基礎を高3の時にやっとはじめたのです。なので、3年にかけて準備しなければいけない分量を一年でなんとかやらなければいけなくなったわけです。自分は他人が3年かけて勉強しなければいけない分量を一年でなんとかやりつくせるんだ!といいたいわけではありません。遅れた分、皆の3年の努力には届かないレベルにしか達することができませんでした。私は努力しないくせにいつも目標は高すぎます。どうして自分の能力を高く評価しているのか、その自信の根拠が分かりません。なので、高3、遅れてしまった!と自覚した時も文系のトップの一橋に入りたいと思うようになったのです。私は現実を直視する能力がないのか、わざわざ逃げているのかはいまだにわかりません。それでも、このような世間知らずというか、一応トップを目指そうという惰性のおかげで経験できたこともあるはずでしょう。

 

 遅れたから、今から命をかけて勉強するしかないと思ってから一週間後、次の障壁にあたってしまいました。私は頑張れない人間でもありますが、中毒者になりやすい人間でもあります。面白い!とおもったことは何回でもやりますし、おいしいと思ったものは一生食べます。高1、高2の時からずっとやってきたパソコンゲーム「LEAGUE OF LEGENDS」から逃げ出すことができず、一日に10時間ぐらいは遊びました。ゲームのために早起き、ゲームのために一夜漬けは簡単なのに、勉強のための20分は地獄なみに苦しかったのです。私の人生のなかで高1、高2の二年は無きに等しいもので、多分今の精神年齢がやっと高校生ぐらいになったのではないかとつくづくと実感しております。

 そのまま、高3の3月、4月と時間は矢のように流れてしまいました。環境を変えてみようと思い、2年間ずっと通っていた塾から英語だけ他の塾で受講することにして、5月からカンナムにある大型塾に通うことになりました。知らない人ばかりで、TOEFLは高校生よりも大学生や成人が勉強する場合が多かったため、クラスに高校生は私だけで緊張感の漂う環境で勉強することができました。しかし、環境を変えても人はそんな簡単に変わるものではありません。

 こんな私を変化させたのは、現実との遭遇でした。いままでTOEFLの試験を受けた経験がなく、先生に経験としてでも受けてみた方がいいと言われ、5月にすぐ受けることにしました。右も左も分からずに受けたTOEFLは50点ぐらい。この点数がどんなに深刻なのか全然わかっていなくて、塾の先生に相談したら暗い顔をされた記憶があります。頑張ってMARCH行こう!みたいな感じだったんでしょう。上にも書いたように、私はいつも目標が高いです。高1の時、実は東大が目標でした!MARCHもすごくいい大学ですが、MARCHの名を言われた私は先生の仰ることに納得せずに意地を張りました。絶対一橋に行きます!!私の先生が一橋を反対したのは理由があります。一橋は留学試験のみならず、一橋大学の本試験を突破してやっと合格なので、一橋の本試験の準備を別途にやらなくてはいけませんでした。なので、TOEFLとか留学試験を勉強する時間がその分奪われるわけです。私って本当に馬鹿だなあと今でも思っております。

 それでも、一応自分の点数がどれだけひどい状況に置かれているのか理解したし、TOEFLの受験料が25000円ぐらいあるということもあって、これ以上両親の負担を増やしてはいけないと思いました。(高1からずっとお金使わせて、なにもできていない自分が情けなかったのです。)そして、自分にゲーム時間を調節する能力がないことを認め、自分のマウスを塾の先生に預けました。こんなバカみたいな学生にご指導していただき、感謝しきれません。マウスがなくなって、ゲームがしたくて、新しい(?)マウスを買いました。今度は、諦めずに、自分のゲームのアカウントのパスワードを先生に変更していただいて、もうゲームがしたくてもお手上げの状態になりました。

 よっしゃー!やってみよっか。腕まくりして、毎日朝起きて一時間半単語の勉強。そして登校。カンナムまで家から2時間ぐらいだったので学校はいつも一限までしか受けず、すぐカンナムに向かいました。高校の思い出が少なくて悲しいですが、新しい経験ができて楽しかったです。2時間ほど走るバスのなかで聴解の音声資料を何回も繰り返して聞いて、12時ぐらいについたら廊下に並んで単語の勉強、1時から4時間ぐらい授業を聞いて電車に乗って日本語と留学試験の勉強のために塾にいってご飯食べて自習して、3時間ぐらい授業うけて、またバスに乗って家に帰りました。帰ってからの2時間ぐらいの自習も忘れずにやって寝ました。この時期は本当に勉強に夢中になって、一日一食をしても、勉強が遅れているという危機感で自分自身にご飯を食う時間も許しませんでした。これが平日で、週末にも塾での授業はありましたが、平日に勉強した内容を確認及び暗記する日として使いました。

 運よく、TOEFLの点数は毎月10点ぐらい向上して、6月には66点、7月には76点、8月には82点ぐらいになりました。私は調子乗って一橋一橋と歌を歌いました。しかし、先生は慶應も無理かもと仰るのではないですか。慶應に書類を郵送するのが10月で、後2か月、90点になっていないと無理だということでした。私は先生からそういわれていなかったら、油断してしまったかもしれません。今までは点数が低かったからどんどん伸びることができたのかもしれないが、80点以上からは高得点ラインなので、5点あげるのに半年がかかる人も結構多いらしいです。まさにその通りでした。8月から9月の末まで、どれだけ頑張っても82点から点数は上がらず、むしろ低くなった日もありました。試験の受験だけで月十何万円。塾の受講料も高かったので、点数が上がらない2か月が本当に本当に苦しかったのです。点数が上がらないまま10月に入りました。先生も最初は緊張させようといったのかもしれませんが、10月にはそろそろ慶應は本当に無理だなと言われました。私は、先生を説得しようとしました。郵送は10月11日。TOEFLの試験はその前日の10日にありました。締め切りの一日前。急に8点があがるわけがありません。でも、まだ機会があるのにここで諦めるのも格好悪いと思いました。先生も一応受けてみてとおっしゃいました。

 私はこの二か月間、本当にストレスがたまって、試験のある週の一週間前からはサラダだけ食べて体調管理をしようとしました。今考えるとむしろ良くない選択でしたが、心理的には安定感がありました。一週間サラダを食べてやっと迎えた試験の前日の夜。目を閉じても、耳からずっと変な歌が聞こえて眠れませんでした。目を閉じて2時間をそのまま寝ようとしても寝れず、本当に怖くて、苛立ちました。

 気づいたら朝。母に車で送ってもらって試験場に入りました。ラストチャンス。塾の友達が日本から買ってきたお守りを両手に握って祈りました。「俺はできる!俺はできる!」(これって祈りではないですね)。TOEFLの試験はコンピューターで受ける試験で、(TOEFLはアメリカ留学を準備する外国人向けの試験なので)画面上の論文を読んで読解、講義と会話を聞いて聴解、そして簡単なspeakingとwritingのセクションに分かれています。私は読解はいつもほぼ満点を取っていたので(これが今までの点数向上の主役でした)、読解では点数が上がりません。いつも聴解が全っ然できなくてこの地獄から抜け出すことができませんでした。聴解が20点以上出てくれれば先生から慶應に郵送する機会がもらえます。最後の機会なので、頭フル回転させて受けました。writingが終わって試験終了。speakingとwritingは人が採点するので、結果が出るまで結構時間がかかり、読解・聴解の点数はすぐ確認できます、確認ボタンを押せば。すごく怖かったです。聴解、できた感じが全然しませんでした。

 カチッ

——————————-

Reading 29

Listening 21

——————————–

 にじゅう、、、、いち?!!

 21という数字を見た途端に嬉しすぎて、本当に泣きそうになりました。今まで、怠けていたせいではありますが、短い間の全力が報われた感じがしました。後になって確認したところ、92点という持て余すほどの点数が手に入りました。すぐ塾に走って行って、先生にこの嬉しいニュースを伝えました!先生はこの点数を見て、こう仰いました。「じゃ、書類の準備しよっか」。あまり嬉しそうには見えず、落ち着いた感じで仰いました。しかし、私はその一言をずっと待っていましたので、一番嬉しかったです。

 ずっと遊んでいたので、やはり数学は全然できませんでした。ある程度までは点数をあげることができましたが、限界にぶつかり、一橋の本試験でも数学で挫折しました。留学試験でも同じく数学の目標点数よりはるかに低く、慶應の商学部には落ちてしまいましたが、幸いに文学部から合格証をもらうことができました。

 合格後、もちろん志望していた一橋に行けず、商学部も落ちて悲しかったのですが、一年間最善を尽くした自分が誇らしい気持ちになりました。今まで、よう頑張ったなあと思い、すぐゲームを始めました。私は中毒者になりやすい人間です。そのまま、再び「LEAGUE OF LEGENDS」にはまってしまい、気づいたら春学期ゼロ単位になっていました。春学期が終わった頃には、こんな自分が嫌になってしまい、すぐ軍隊に行こうと思ったのです。

 でも、人生の中で頑張った経験があるというのは、貴重な財産だと思います。自分も頑張れる人間だということが分かって自信ができますし、私の場合はその頃の自分に憧れて、またあの時のように夢中になってみたいなあと思ったりもします。憧れすぎて、今まで何回も勉強に挑戦してみましたが、やはり失敗でした。こんな私が最近夢中になったのが柔道です。走るのが大っ嫌い私が自分で階段を走ったりもします。目標も高いです。今のところは、早慶戦で南出選手に勝つことです。今回も皆より大分遅れてしまいましたが、これから自分はどこまで上がることができるでしょうか。これからの私の成長を期待してください!!!

 と希望的な内容で終わりにしたいと思っておりましたが、最近様々な不安に襲われています。芥川さんの言葉を借りれば「漠然とした不安」。柔道においては節穴な私が、直面した自分の無力と弱さ、それはTOEFLの最後の試験の前夜のように、目を閉じようとも、克服しようとも、何一つできなかった時の巨大な何かに対する足掻き。

 最近、リコウタイという慶應の柔道サークルで練習させていただいておりますが、柔道部でもない学生たちにボコボコにされ、すごく悔しい思いをしました。自分には才能がないのか、努力が足りないのか、なにをどうやって努力すればいいのか、勝手に風邪ひいて、膝もいたくなる弱々しい体と精神力。根性もなく、力尽きたら投げられてもいいと思ってしまうし、投げられたら悔しがるわけの分からない馬鹿。壁のように高そうにしか見えなかった柔道部員たちではなく、同じぐらいの初心者や、経験者でも柔道部ではない学生たちと戦い、柔道を考えるだけでワイワイ盛り上がっていた自分の心が今は静けさに溢れています。

 狭いベッドの上で、光も当たらないカーテンの背後で一日中スマホをいじっていて、隔離というのは、すごく苦しいことだなあと思っております。スマホなんかもう要らないと思うくらい飽きてしまい、余命の終わりをただただ待っているような気持ちです。しかし、隔離中、去年韓国でデビューしたqwerというガールズバンドの動画をいっぱい見ました。多分私が日本にくる直前にデビューしたバンドで、当時は音楽が好みじゃないし、あまり興味がなかったのですが、今回のアルバムはすごくいい音楽を出していて、特にボーカルのシヨンが可愛いなと思って、調べたら、シヨンは、大阪のNMB48の卒業生だったということが分かりました。韓国人としてははじめてのakb系アイドルだったし、日本語もすごく上手でびっくりしました。日本に住んだこともない彼女が、一人で日本に来てアイドルをするというのは、留学というのと次元の違うことだろうと思います。日本に来て、日本語を勉強して、歌もすごく上手で、頑張りやとしての彼女の熱情がすごく伝わってきました。しかし、彼女はNMBで人気メンバーと呼ばれるほどではなかったらしく、日本のアイドルとしての将来についていろいろ悩んでいたらしいですが、韓国からバンドのオファーが来て参加し、今は韓国で一番人気のアイドルバンドのメンバーになりました。

 有名になるために、上手になるために、今はあまり上手ではなくても、仮に有名になることなんか不可能に見えるとしても、黙々と頑張り、狭くて小さい部屋で希望を失うことなく前向きに広い世界への窓を開いた彼女のストーリーは、例のアイドルたちにはない特別さがあって、魅力として感じられました。狭くて暗いベッドの上にいる私も、彼女のように頑張りたい。はじめて、他人の強さに頼りたいと思うようになりました。巷では、韓国のアイドルは完成型で、日本のアイドルは成長型であると言われたりして、韓国人のほとんどが、完成型がいいにきまってんだろうと思っていただろうと思うのですが、qwerを機に成長型アイドルの魅力を私を含め、皆理解するようになったんでしょう。だから、人気アイドルの<IVE>の新曲と同じぐらいのチャートランキングにずっと並んでいるのでしょう。私はずっとnewjeansのハニが推しで、もちろん音楽は今もnewjeansの音楽が一番いいと思っているのですが、人として一番好きなのはシヨンになりました。単純に可愛くて、歌が上手!だったらハニに勝てる者は世界に存在しないでしょいが、同じく戸惑いの中で彷徨し、諦めずに頑張って今はキラキラ輝いているシヨンの姿が、私には一番憧れの対象、すなわちアイドルに感じられました。しかも、めっちゃ面白い人で同じ動画を何回も見させる魅力があります。

 オリンピックが好きな理由と同じだと思います。オリンピックという舞台は、選手たちにとっての終着駅。世界舞台で、国を代表する選手たちが集まっていると思えば、どんなに上手な選手であっても、どんなに怖いだろうか、想像もできません。普段は強くてかっこよくしか見えなかった選手たちが、ヴィランを倒しに行くヒーローの心の中のように、怖がっている姿がカメラに如実にあらわれ、夢を叶えるために命をかけて戦う姿は、アイドルそのものだと思います。

 アイドルたちのお陰で、熱情はチャージされます。いつもありがとう。

 皆さんは温め鳥(ぬくめどり)をご存知でしょうか。寒い冬に、鷹などの鳥が、足を温めるために、捕るスズメのような小鳥のことで、あしに挟めて懐炉として使うらしいです。

 私にとってスマホは、温め鳥のような存在です。隔離中に、スマホを使いすぎて、すごく熱くなって、そう思いました。現実を忘れるために、手に持つ温め鳥だと。

 私はきっと、鷹として、小さくて弱いスズメを弄んでいたわけなのに、気づいたら私がスズメになっていました。どんなに抗っても彼から離れることはできません。きっと油断していた私のせいでしょう。

 終わりの見えない、長くて寒い夜が終わり、鷹は朝日を浴びては、気持ちよく空を飛びました。急に離されたスズメは、自分の状況が分からず、その場に倒れてじっと考えるのでした。

 スズメに残った選択肢はたった一つ、また捕られないために、身を粉にして逃げること。

 私に残った選択肢もたった一つ。

 ということで、隔離が終わったら、どう生きていくのか、ルールを決めたいと思います。

 もちろん、何回も何回も、今までそうだったように、失敗して、約束を破って、挫折するでしょう。

 

 その時は、ここに書いた覚悟を思い出すだけでいい。また暗闇の中に閉じ込められて、活躍できずに寂しく死んでいく姿を想像するだけでいいのです。

 そんな情けない人生を生きるために、息を吸い込んでいるわけではない。

 そんな悲しいドラマの主人公になるために、息を吐いているわけではない。

 じゃールールとは。

<気をつけるべきことリスト>

・安住すること

・流れるまま生きること

 最近は、本当に流れるまま生きてしまいました。流れるまま生きることが危ない理由とは、悪い習慣を当たり前のように受け入れ、そのまま永劫不変、、、、人生が終わってしまいます。私がいつもスマホをやめられない理由として思っているのは、スマホを完全にやめると、時代遅れになってしまうのではないか、重要な情報を逃してしまうのではないかと、言い訳を言ってしまうのです。完全に間違えたことではないのですが、今は自分で統制ができていないということを認め、脳がスマホを使うのを当たり前だと思っている今の状況から、回復期間を設けないといけないのです。

 また、柔道や勉強も、その日その日、何本乱取りやって終わりにしているし、勉強も、正直もう課題以外何もやっておりません。課題と柔道で一日終わってるよーとか言い訳するのですが、スマホいじってんだろう、お前。今日、柔道頑張った、課題もやった、ユーチューブ見よう!が毎日になって、その時間を一年単位で考えればとんでもない甘えだったということに気づくはずです。

 安住することは同じ流れだと思います。人はすぐ甘えてしまいますね、、、私だけかもしれませんが。いつも最後の最後までいかないと頑張らない。成長が止まることを、怖がれ。

・自分の力ではないものに自負を持つこと

 私の家は極めて普通です。お金が多いわけでもないし、幼い頃からいっぱい習い事をしたわけでもありません。しかし、留学を行かせる状況ではない家庭もいっぱいあるでしょう。お金があっても、海外に行くことを簡単に許してくれない家庭もいっぱいあるでしょう。自分が日本に来て勉強しているのは、自分が受験をして、自分の努力で手に入れたものだと思ってしまうのではなく、完全に親のおかげです。自分は、自分がやりたい勉強ができる家庭で生まれただけで、他人より勝るところなんて一つもないです。人によって得意不得意は全然違います。自慢を遠ざけ、謙虚に振る舞い、また他人を尊重する思いを忘れないように。

・自分で言ったことを守らないこと

 これは、私が一番守っていないルールです。どっかで聞いたことがあるのですが、人は自分の目標や夢を口に出すだけで、ドパミンを分泌するらしいです。夢を叶えた時のように。だから、どんどん、どんどん厖大な夢、自分の日頃の怠けに相応しくない高い目標をつい口にしてしまうのです。

 毎日トレーニングするぞ!毎日英単語覚えるぞ!考えるだけでワクワクするのですが、今日は課題が多いから、、今日は膝が痛いから、今日はちょっと疲れたからと、ださい言い訳をします。

 口に出すのは、叶えてからでも遅くない。少なくとも一か月は守ってから話せ。ドパミンが出てしまうと、モチベーションは一段と弱くなるのです。そして、自分との約束を守らなかった時は、限りなく自分を情けなく思え。

・計画と違う報いを自分に与えること

 久しぶりに何かを頑張った日は、自分が偉くてたまらないのです。

 スマホをやめれない理由は、ドパミン!ドパミンのせいなのに、ちょっと休みながらユーチューブみようなんて、無駄無駄無駄。これを書いている今、この瞬間も正直ユーチューブがみたいです(笑) 苦しい!!!十分だけみたい!十分が二十分に、一時間になる。心の中のユーチューブ悪魔よ、黙ってくれ、まじで、、、

<守るべきこと>

・携帯は寝る前に連絡確認のみ

 今日実行してみたんですが、久しぶりにめっちゃ妄想しました。私は妄想するのが大好きです。何か変態みたいですが、そういう系じゃなくて、自分が世界一のお金持ちになったら、なにがしたいのかとか、早慶戦で負けている時、自分が十連勝したらどうなるだろうとか、、こういう妄想は、やっている時、自分がどこにいるのか、なにをしているのかなど全部忘れて夢を見ているようになるじゃないですか。私はこの妄想が健康の証拠だといつも思っています。我々は考える時間が本当に足りないのです。暇があればスマホをいじるだけで、時間がすっと流れてしまうので、電車、授業前、、しかも道を歩きながらスマホをする人もいます。インターネットには面白いものが、本当に沢山ありますが、考える時間がなさすぎます。だからいつも一日が短く感じられるし、時間に駆られているように感じられるのです。

・一日を大切にしよう

・記録をやめない、日記やブログを書き続け

 

 今日、スマホがなくて、ちょっと軍隊にいた時の日記を久しぶりに読んだのですが、本当に書いてよかったなあと思いました。こんな貴重な時間、記録しなかったのなら、なかったことになる。本当に、なかったことになります。世界どこにも存在しない。

 記録すればその世界は、存在し続けます。偏見や誤解を含む場合もありますが、後になってみれば、反省にもなるし、その時の感情がまた蘇るのです。部員日誌をわざわざ長く書いているのも、誰かに見せるためよりも自分のためになると思いながら書かせていただいております。4月は結構毎日ブログを書いたんですが、5,6月は書いたいないし、失ったということを自覚しなげればいけない。

 

 やっと隔離が終わりました。

 外の世界は楽しい~~~~~たのしい~~~こんなに世界がキラキラしていたのか、、、知らなかった。

 気持ち悪いほど、あつく燃えている太陽さえ、目を閉じて木漏れ日の流れを眺めているだけで許せる。

 喉に流れ込んでくる麦茶は、熱い風を涼しく変えてしまいます。

 さすがにここまで読んでくださってる方はいらっしゃらないと思いますが、もし、最後まで読んでいただいたのであれば本当にありがとうございます。これからも頑張りましょう。