ご無沙汰しております、2年の高です。いいのに、という言葉にとても魅力を感じています。春泥棒なんてずっと来なければいいのに。ずっと真夜中でいいのに。どうしてでしょうか。

それはさておき、今年の干支を皆さんはご存じでしょうか。今年の干支は虎です!(正確には寅ですね。)ですが去年に引き続きやっぱり虎はあまり目立てていないように感じます。東京ディズニーリゾートが毎年干支の動物のキャラクターやグッズを出していますがそれくらいではないでしょうか。かわいそう。せっかくの12年に一回しかやってこない主役になれる年にこんな扱いを受けてはさすがの虎も泣いちゃうだろう、ということで僕だけでも虎の味方でいてあげようと思いました。あ、そういえば女子アイスホッケー中国代表のGKが虎模様のヘルメットを被っていました。嬉しい。

 虎といえば、、、やはり思いつくのは山月記でしょうか。僕が知っているのは李景亮の「人虎伝」をもとにした中島敦著の「山月記」です。中学校の国語の授業で一度習ったことがある程度で、大した知識も記憶も残っていなかったため、虎のためにももう一度読み直してみました。内容について語ると長くなってしまうため割愛しますが、一言で要約すると、元エリート官僚の李徴が、自らの臆病な自尊心と尊大な羞恥心によって人から虎になってしまう不思議なストーリーです。

 うーん、何かに似ているようで似てないような気が、、、そう、美女と野獣のストーリーに似ているようで似ていないんです!悪いことをしてしまった罰として醜い姿に変えられてしまった野獣と李徴はとても似ています。しかし決定的に異なるのは変わった後の姿です。野獣はゴリラの眉、ライオンの鬣、イノシシの牙、バッファローの角と髭、狼の脚としっぽ、熊の肉体、そして人間の目をミックスした動物であり、確かに醜い姿であるといえなくない気がしなくもない。一方虎はどうでしょうか。あの鮮やかな色と完成された体格、凛々しい目からはとても醜いと決めつけることなどできないように感じます。李徴は、こんな醜い虎の姿になってしまった、と言いますが僕は声を大きくして「醜くなんてないっ!かっこいいではないか!」といってあげたいのです。人でない姿になってしまったことを嘆きつつも、最後に月に向かって吠えるシーンは虎として生きていく覚悟の表れのように感じられ、やはり虎はかっこいいと確信しました。

 

 それはさておき、猫になりたいなあと最近よく思います。どうやったら猫になれるか考えてみると、意外と猫要素をすでに持っていないこともない気がしました。ちょっと猫背だし、ちょっと猫舌だし、「猫」歌えるし、「near」の発音ちょっといいし、ちょっとジャンプ力高めなのであとは毛繕いと身震いができればもう実質猫のはずです。猫になったら何を目指そうか、やはり十二支に入ることが一番の目標になってくるでしょう。しかし、猫が十二支に入るためにはいくつかの障害があり、それを超えることができない限りメンバー入りは果たせないと考えています。一つ目の問題はキャラ被り、虎はネコ科なんです、、、。十二支の中に二人もネコ科がいたら猫キャラで売っていくことができなくなってしまうため喧嘩になる可能性があります。しかしそれだけではありません、かわいいペット枠で犬とも被ってしまいます。どちらとメンバー交代するにせよ凝ったキャラ設定を考えなければならないのです。そして二つ目の問題は食物連鎖問題、猫はネズミを食べます。僕も猫になった場合食欲を抑えられる自信がありません。そして何より困るのはミッキー。12年に一回グッズのために、恐怖におびえながらも猫と関わらなければなりません。さすがに申し訳ない気もします。レギュラーへの道のりは長そうです。

 

それはさておき、僕の好きなバンドの一つにTETORAというガールズバンドがあります。代表曲である「今日くらいは」は若者の間では有名で、ボーカルの力強くも儚い声が特徴的なバンドですが、僕は彼女らが創るTETORAという音楽に魅せられました。

「誰かがつきつける銃から無知が飛んできても大笑いしていようよ」(レイリーより抜粋)

YouTubeで視聴することができるのでお時間ある方はぜひ。

 

 

生意気な犬の前では猫の背も伸びるはずです。超海狸や夜鹿が干支の年はいったいどんな年になるのでしょうか。僕にも限られた時間に反する創作への執着が湧いたらいいのに。

 

谢谢。