こんにちは、お世話になっております。湿気に弱い総合政策学部2年の酒井です。最近の蒸し暑さには本当に苦労しています。何か良い方法はないのでしょうか。
今回は部員日誌を少し長めに書こうと思っています。私は他人の部員日誌を読んだ後などや何か書きたいことが出来た時、脳内部員日誌をすることがあります。皆さんもやるのではないでしょうか。文字通り、頭の中で部員日誌を書くことです。しかしだいたいメモらないので実際に書く時は忘れてしまいます。今回は忘れないうちに、書けそうなうちに書きます。私の戯言かつ自分語りに付き合ってくださる方は、引き続きスクロールをお願いいたします。2つ話を書いたので、どちらかだけでも嬉しいです。
・さて、突然ですが、皆さんは人を「羨ましい」と思うことはありますか?私は、めちゃくちゃあります。なんなら毎日どこかで思ってます。ですが、羨ましいという気持ちは悪いものでは無いと思っています。そこに妬むというネガティブな気持ちが入ってきたら良くないですが、羨ましいというのは他人の良いところ・優れているところを認めているからこそ出る感情だと思っているからです。
私が羨ましいと思ってしまうことが多いのは、自己肯定感も影響しています。私は、自他ともに認める自己肯定感低い人(語彙力、、)です。こんなネガティブなことを書いて良いのかとは思いますが、最終的にはポジティブな展開にしますのでご安心ください。私が誇れる自分の長所?は勝負どころの運の強さと、常に環境に恵まれているところくらいだと思います。なんなら私の全ての結果はそれで成り立っているくらいに思っています。
ですが、大学に入って自己肯定感に少し変化が起きました。というのも、塾柔道部やSFCで色んな人たちに出会ったからです。もちろん、今までも様々な出会いがありました。しかし、中高6年間同じ場所で、そして生活の9割、いや10割柔道に捧げていた日々は、少し偏ります。あの時の私は自分にいっぱいいっぱいで「羨ましい」の気持ちだけで止まっていました。そして、いっぱいいっぱいなのは周りも同じです。互いを認めて、素直に褒め合うことはあまり出来ていなかったと思います。
今はそうではありません。大学で出会った人達は、素直に良いところは褒めてくれるし、ダメなところはしっかりと指摘してくれます。私は、特に、柔道では褒められることはほとんどありませんでした。私はセンスはありませんし、その上周りには才能もあって努力もしている子達ばかりです。今だって私には目立った実力はありませんが、6年間で基礎基本だけは身につけたという自負はあります。そこを評価してくれることが、とても嬉しいです。「上手い」なんて人生で初めて言われました。いずれ淑徳柔道部については書きますが、中高時代を悪く言うつもりはありません。あの頃はひたすらみんながむしゃらでした、と思います。
そんなこんなで、私は少し自己肯定感が高くなりました。自己肯定感が高くなることで、自身の悪いところを認めるだけでなく、冷静に分析することが出来ます。そして、「羨ましい」だけでなく、彼・彼女たちの良さはなぜ生まれているのか、どうしたら私もそのようになれるのかとまで考えられるようになりました。きっとこの変化は、私の成長に繋がるはずだと思っています。卒業までに自分自身の良いところ、100個言えるようになりたいです。その前に残りの88個作らねばなりませんが…
・少し遡りますが先日東京学生がありました。
女子は結果から言うと昨年に続き準優勝でした。無事に全学出場決定です。
3人制の団体戦に、人数足らずの2人で出場。初めての経験でした。高校までは、頑張っても入って補欠。出たとしても引き分け要員。そんな私が絶対に点を取らなければ勝てないという状況に置かれたのは、私の団体戦史上1番の試練だったかもしれません。残念ながら、決勝では取り切れず、1-0で敗れました。澤田先輩のようにヒーロー(私の場合はヒロインでしょうか)になることはできませんでした。
でも、私は心から柔道を、試合を楽しむことが出来たのではないかと終わってから考えていました。これが脳内部員日誌で気づいたことです。もちろん、結果は悔しいですが、今持っている力を全て出し切ったと感じました。100%、いや120%のパフォーマンスを試合で出すことはとても難しいことです。それができるなら実力を付ければもっと上を目指せます。可能性無限大ですね。
相手をボコボコにするのはあまり楽しくないです。競り合った練習や、相手の方が格上だけどわんちゃん勝てるかも?くらいが正直なところ1番盛り上がります。特に相手が「こいつ(私)には負けるはずがない」と思っている状況が1番楽しいし、勝てた時は快感です。少しひねくれているかもしれません。あと、その場合ついでに周りを結構驚かせることができます。
しかし高校時代は結果を出せず、1年の時も3年の時も同じ順位。高校時代はその競り合う、見返す楽しさよりも、コロナでほとんどの試合が無くなり、残された僅かな試合で結果を出さなければという焦燥が勝ってしまいました。努力も義務感でやっていました。
義務感の練習、やみくもな努力は努力とは呼びません。ただ、単純に練習量を増やせば強くなるわけではありません。それは中高生時代に痛いほど分かりました。もちろん、ある程度までレベルは上がります。でもただ練習しただけでは、凡人は努力した天才には勝てません。その上にあがるには、必死さ、つまりは死ぬ覚悟で取り組まなければならないと思っています。
といっても必死さをどこに向けるかも重要です。できることをひたすらやっても意味がありませんよね。分かる問題を何回も解いたって意味が無いです。苦手なところの分析、そして修正。自分のスタイルを見直して改革してみる。団体戦ならオーダーの作戦、それに合わせた戦法の構築。やり方は色々あります。0.5の状態×10の練習と1.0の状態×5は当たり前ですが同じです。上手い例えが思いつきませんが伝われば幸いです。
努力が報われるために時間を要するのは当たり前です。昨日の練習のおかげで今日強くなっているわけがないです。今日の練習の成果が出るのは1年後、2年後です。私にはまだ時間があります。未来の自分が笑っていられるように、大学生活のどこかでヒーローになるために腐らず日々精進していきたいです。
全日本学生はレイナがエントリーしてくれ、3人で出場することができます。レイナのアツい部員日誌を読んだので、私も頑張ってみました。少しは温度を感じて頂けたでしょうか。
全日本学生まで残された時間は少ないですが、みんなで笑って終われるよう全力を尽くしたいと思います。今後とも応援のほどよろしくお願いいたします。
拙い文章で大変申し訳ありません。ご精読ありがとうございました。