ご無沙汰しております。文学部2年の呉銅敏(オ・ドンミン)と申します。最近やっと寒い季節の寂しさが風に乗って運ばれているのが感じられるようになりました。皆さんは風邪にひかないよう、半袖、半ズボンは、もう棚に綺麗に畳んでおきましょう。

 あっという間に、また一年が終わろうとしております。いつも年末は、乗れないと遅刻確定の電車を目の前で逃したように、後悔と不安が心の中から湧いてきます。でも、今年は去年よりずっとましだと思っております。去年の冬は留年の危機と、はじめて経験する寒稽古や山ほどある試験で眠れずに寒くて暗い冬を過ごして、、今年はやりたいことができ、無論、就職のことやこれからの成績についても様々な悩みが残っているのですが、努力のみというすごく恵まれた状況にいられるようになりました。しかしながら、やはり冬になると人間はいろいろ苦悩してしまうものでしょう。

 私は高校生の時に、人間について考える時間が多かった記憶があります。前の日誌に書いたように、受験生の時は携帯を使わずに暮らしていたため、バスに乗ってゆっくりと色んなことを考える時間が与えられました。

 どの集団にいても、行動や言動が嫌で、思想や会話が合わなくて、しかも特別な理由がないのに嫌いになってしまう人が出来てしまうというのは皆さんも共感するのではないでしょうか。(もちろん柔道部にはいません~)私は軍隊にいた時に、本当に嫌いな人が必ず周りに一人はいて、しかもその人と24時間狭い空間で生活をするというのが相当厳しいことだったのです。

 私が嫌いなタイプの人というのは、ダブスタな人です。自分のミスには寛大で、人が変なことしていたら、偉そうに口を出す人。もしくは、他人を無視、下に見ているような態度や発言をする人。このようなタイプの人はどうしても好きになれなかったのです。

 しかし、ある日思ったのが、彼らはなんでそのような行動をするだろうか、でした。この世に嫌われたい人っているのか?人というのはきっと好かれたいと思っているはずです。人を敵にするというのがなんの得にもならないのに。

 私は人の行動や発言をよく観察するようになりました。人は皆、記憶を持っています。色んな記憶、自分すら覚えていないように思われるほど些細な記憶まで、脳の中に深く刻まれているのです。その中でも悪い記憶は、私たちの根底に刺さって、一生我々を痛めています。無視された記憶、いじめられた記憶、残酷な光景を見た記憶、悪いことする人を見た記憶、よく嘘をつく友達の記憶、、、このような経験、記憶の欠片は、もちろん変な偏見になってしまう場合がありますが、効率的に生存するために、自分の意図よりもはやく現れて事を済ませるのではないでしょうか。例えば、知識で無視された記憶がある人は、もっと知っているふりをするようになるとか、嘘つきの友達と似た人には無意識的にもっと意地悪く行動するとか、強がり、などなど。

 このように思われてから、人のよくない行動は、その人の傷から生まれてしまったのではないかと、もう一回考えてみるようになったのです。皆、心の傷を両手で隠して生きている。だからといって皆が好きになったわけではないのですが、嫌いになることはあまりなくなりました。ただ、人には言えない彼らの傷が治るように応援したいといつも思っております。もちろん性格上、人に話しかけられるような人間ではないのですが、実は皆が幸せになってほしいと心から思っております。

 あまり時間がなくて内容が雑になってしまい、しかもいい内容で戻りますと申し上げたので、本当に申し訳ないのですが、、、今日も、明日も頑張ってください。貪瞋痴は三毒。つまり、怒りは毒なり。悪いことをした相手に対する怒りさえ、自分の毒になるのみ。朝日たっぷりの露が宿った清らかな黎明(れいめい)と虫が集く様さえ静寂に感じられる夜が繰り返されるだけの夏の日々、皆さんの周りにはどんな人がいますでしょうか。