急に寒くなり、布団から出るのが億劫になる季節になってきました。皆様、お身体にはお気をつけください。
さて、私(私の部員日誌も)は他人から見て本当は何を考えているのかよくわからないとご指摘をいただきました。本当にその通りで、私も自分を探していました。
私は部員日誌を書く時は、いつも一度原稿を破棄しています。せっかく自分を出せる機会なのだから思い切って出してみようと思うのですが、結局これを発信して良いのか、過激ではないか、反対されてしまうかもと踏みとどまってしまうのです。投稿するのは綺麗事を並べる部員日誌ばかり。もちろん、全てが本心で本気で思っていることだけれど、あまりにも綺麗すぎる文章を書き連ねてしまいます。今までの部員日誌は周りからいい子な実里留と見られていたいと理想の自分を描いていました。
気づいた彼らは私も知らない私の内面を知っている気がします。
自分を出せないのは部員日誌だけではなく普段からです。私は我ながら見た目が少し派手でインパクトはある方だと思います。そして、周りはこれを個性的と呼びます。しかし、それは私にとっては個性でもなんでもない。口紅を塗るのは病気で青白かった唇を元気に見えるように隠していた時期の名残だし、化粧をするのは他人から何気なく言われた嫌な言葉を引きずっているからなど全ては自分を偽るために飾り付けをしているにすぎないのです。他人の目を気にして他人に造られた私を私が作っているのです。
きっとここで体が弱く産んだ親のせいだ、ブスだと言ったあいつらのせいだと思えてくれていたのなら、私の中に自分はいたし、自分のための自分を作っていたと思います。しかし、「人のせいにする」というのは私の性分に合いません。人のせいにするくらいなら自分を無くしたい、そう思ってしまっていました。
嫌な記憶にいる人たちは、人(私の)のせいにしてきました。でも、私は人のせいにすることができず、自分の落ち度を探してしまう。この溝が私を消してしまった気がします。その人たちにとって私が少しでも嫌なことをしてしまえば、悪者になる。そんな恐怖やトラウマが私を封じる鎖になっていました。最初は心の中で反抗をしていましたが、いつしか言えないなら意味がないと考えることを放棄するようになりました。これは、苦手な人や不条理なことに対してだけではなく、自分の未来ややりたいことなどポジティブな自分までも消していきました。
私が人生で一億人に出会っているとすれば、こんな人はたったの10人程度でしょう。しかし、枷は小さいもののはずなのに、とても重くて外せない、気にしなければいいのに嫌な記憶は強く残ってしまうものです。
しかし大学1年生で、人のせいにするくらいなら自分の心を無くしたいというこの考えをし続けていたら私は自分がわからなくなりました。自分を放棄してしまって生産性のない人間になっていました。2年生でいい加減にやめないといけないが、どうしたらいいかわからなくなって路頭に迷い、先輩方に相談しました。正直、私は自分がないとか厨二病みたいで少し恥ずかしいのでただ聞いてくれるだけでいいと思っていました。そしたら、誰もが笑うどころか真面目に話を聞いてくれて、自分のビジョンや信念、感じたことを真剣に話してくださいました。自分が恥ずかしいと思っていたこと、放棄していたことを語る姿は本当にかっこよく見えました。自分の主張が自分を苦しめる結果につながるという私の中の概念の枷がぶち壊されました。初めて自分らしいという言葉を理解でき、自分っていいな、取り戻したいなと思えました。
私は柔道部所属していなければ、一生自分が見つからずに、ただただ光が見えない暗闇を歩くような日々を過ごしていたと思います。自分を救い出してくれる、不恰好な悩みを本気で聞いてくれる先輩方がいること、意見や気持ちをぶつかり合える環境があること、これは本当に恵まれています。今日も明日も毎日たくさんの気づきを与えてくれるこの柔道部で、私が四年生の皆さんが現役のうちに恩返しする期間はもう短いけれど、精一杯のサポートをしたいと思います。