近頃、「人との出会い」に面白みを感じています。出会う人、ものによって私たちの人生は、大きく表情を変えるように思うからです。
私は幼い頃、非常に泣き虫で意気地のない少年でした。(おデブだったし) 両親は、私が学校でいじめられないか心配なほどだったといいます。そんなある日、私は母にヴァイオリンを習いたいと申し出るのです。(←記憶にない)それを受けて母は
母:えぇ、もう少し大きなってからにし(ば・・ばいおりん?こいつどんだけ金かけさせるつもりや。だいたいこの子がヴァイオリンて、将来絶対にいじめられるて)
おそらく母の懸念の8割は前者ですが、月謝も格安で根性も叩き直せると、幼い私を柔道の世界へと誘ったわけです。
さて、なぜこんなことを話したかというと、「出会い」についてお話しするためです。私はこれまでたくさんの人と出会ってきました。そして、いまたくさんの素敵な同期や先輩、後輩に囲まれています。しかし、もしあのとき母が私に柔道をやらせていなかったら、もっと言えば、あのとき柔道教室の勧誘のチラシが実家のポストに入っていなかったら、私は眼前にいるこの人たちと出会っていないわけです。もちろんヴァイオリンを習っていれば、違った出会いもあったでしょう。だから、どちらが正しいとかではありません。でも私たちは、気づかないうちにそのような選択を幾万も繰り返し、この必然とも思える偶然の今を生きているのだと思います。つまり、出会いがいまを彩り、これからを彩るわけです。
余談ですが、この前ふと思ったのです。人生80年として1秒に換算すると、1年が365日で、1日が24時間で、1時間が60分で、1分が60秒・・・
60×60×24×365×80=2522880000
しめて25億秒といったところでしょうか。生まれた瞬間から1秒に一人ずつ挨拶をして回っても、地球に暮らす全ての人に到底出会うことができないんですね。生涯に出会う人の数なんて、多いようで実は知れているのかも。
人との出会いに慈しみが湧く小話でした。