皆さんこんにちは、先日、ベッドから起き上がった拍子に肩を痛め、体の衰えを感じさせられた環境2年の陶です。やはり冷え込んでくると油断ができませんね、皆さんも起床してすぐの行動には気をつけましょう。

さて、今年も残すところ1ヶ月を切りましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。今年に後悔を残さないように今を精一杯楽しんでいる方、年明けの勝負に向けて粛々と力を蓄えている方、はたまた冬の寒さに耐えきれず起き抜けに肩を痛める方、いろいろな過ごし方があると思います。私はというと、年内に終了する異例の秋学期の中で課題に追われ、約束に追われ、時間に追われる毎日を過ごしております。ですがそれと同時に、この時期になると今年を振り返る時間が多くなっていることも事実です。昨年の部員日誌を読み返してみれば、何かを形にしたいと書いていたものの、蓋を開けてみれば形になったものは細さの増した目だけでした。後悔と共に綴りたいこともありますが、同期のみんなが深い言葉を綴っているのを見たのでそれはやめにします。

 

なので今回は、大学の友人と話した他愛もない話を綴ろうと思います。きっかけはその友人が告白をして無事に想いが実ったという喜ばしい出来事でした。授業について軽い電話をしようとしていましが、終始惚気ている彼に若干ジェラシーを感じていたことはここだけの秘密にしておきます。ですが彼から語られるエピソードには、一つ一つに彼の想いが溢れており、お相手がかけがえのない存在であることがひしひしと伝わるものでした。そんな折に彼がボソリと

「縁ってすごいよね」

と呟いていました。その時はこの幸せ者め、とからかいましたが、思い返してみると非常に深い一言です。
  そもそも“縁“ってなんなのでしょうか、よく運命の赤い糸とは例えられますが、それ以外にも”縁“というものは良くも悪くも存在します。運命的に自分にとって大切な人と出会ったり、自分と噛み合わない人と何度も鉢合わせたり、自分ではコントロールの仕様のない存在が”縁“なような気がします。だからこそ友人の彼も”縁“に対して「大事」でも「良い」でもなく「すごい」という表現を使ったのでしょう。そこには”縁“が朧げで儚く、時に自分自身に牙を向ける形容しがたいものが含まれているのでしょう。我々若者の語彙力の低さから「すごい」という平たい表現になってしまいましたが、そこには確かに「”縁“のすごさ」が存在したような感覚がします。この時期になると小学校時代の旧友と会う機会もありますが、その度に不思議と話の合うなんとも言えない感覚に出会い、それが”縁“であることに気づかされます。話をした友人と出会えたことも、驚異的な”縁“でしたし、、、

そこで改めて今年を振り返ると、コロナウイルスに悩まされた一年でしたが、不思議と新たな“縁”を育めた一年でした。ここで全ては書けませんが、大きな出会いも小さな出会いも、その一つ一つが確かにかけがえのないものでした。そう考えると、今年もなんだかんだ捨てたもんじゃないですね。きっと試合場の畳に上がる前にギュッと帯を締めるあの大事な瞬間と同じようなものに感じます。皆さんも今年は何もできなかったと後悔するのではなく、出かける前に靴紐を結ぶ、あの大事な時間だと前向きに考えましょう。

 

年末ということもあり少し長めの文章になってしまいました。ここまで読み流した方でも大体の内容がわかるように一言でまとめるならば、

僕も恋がしたい

戯言はこの辺りで終わります。では、