これはある人の背中が教えてくれたこと。別に特別凄いことを語っているわけでもないし、何なら僕自身も既にそうであると分かっていた。でも、僕たちはついつい知っているはずのことを、日々の雑踏の中に忘れてきてしまう。例えば、人に親切にされたときは「ありがとう」と言う。そんなこと頭では分かっているけれど、僕たちはその「ありがとう」に心を込め忘れる。
その人が教えてくれたことは、「自分」を大切にすることの大切さと怖さ。ここで言う「自分」とは、自分らしさやプライド、尊厳のようなものだろうか。
人にありがとうと言わない奴に、人はありがとうと言わない。
人を尊敬しない奴は、誰からも尊敬されない。
人を愛さない奴は、誰からも愛されない。
見返りを求める奴は、きっと何も手に入れない。
私たちは誰かに与えた分だけしか与えられないのだろう。でもそれは見返りの関係ではない。ありがとうと言われたいからありがとうと言うんじゃない。誰かにありがとうと言うから、誰かからありがとうと言われる。そんな、水の流れのような関係だと思う。
自分が「自分」を大切にするから、誰かが「自分」を大切にしてくれる。
自分が「自分」を愛するから、誰かが「自分」を愛してくれる。
そんな「自分」を精一杯守ろうとするから、誰かがあなたを守りたくなる。
このことを僕に教えてくれたあの人も、きっとこのことを知っているようで忘れている。辛く苦しいときには、自分に嘘をついて知らないふりをするだろう。「自分」を捨てるのは一瞬で、向き合うよりも楽だけど、きっとその先には何もない。頭では分かっていることでも、弱っているときほど向き合うのが怖くなって、その場から逃げ出してしまうのだろう。たぶん、麻薬で捕まったあの元野球選手も同じだと思う。理由はただの好奇心なのか、何かに絶望したのか分からないけど、きっと彼は最後の選択の場面で「自分」から逃げた。僕が絶対にそうならないとは言いきれないけれど、だからこそ僕は自分の中の「自分」をこれからも育んでいこうと思った。自分のイヤなところ、嫌いなところ。そういう所も全部含めて自分らしさだと思えるようになりたい。
実際の大学生活は高校時代に思い描いたものとは程遠いけれど、自分らしくいられるこの生活が今は何とも居心地が良い。自分を受け入れてくれる今の環境なら、きっと「自分」は大きく育つだろう。そして、将来苦しいときも、絶対に捨てたくない、諦めたくないと思えるようなものに育てられるかは僕の考え方次第。そんな当たり前のことに気がついた今日この頃だ。
えー、これを読んで、この子はこれまで何かに酷く苦しんでいたのかと勘ぐった皆さん。誤解です。麻薬で捕まった清原選手(結局言う笑)の報道などがあって、考える機会がたまたま与えられただけでございます。個人的には清原さんはまだまだやり直せると思います。是非あがいてもらいたいです。最近あまりに書くことがなさすぎて、こんな気持ち悪い内容を書かせていただきました。最後までお付き合いいただきありがとうございます。明日も部活頑張りまふ。