皆様ご無沙汰しております。総合政策学部1年の島田です。改めまして、新年あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

入学式から9ケ月、大学受験から1年が経過した事を考えると、時間の過ぎる早さにただただ驚かされます。来年も全く同じことを口にしているのでしょう。昨年は内省に十分な時間を割く事ができなかったので、今年は「成長できた」一年だったと思える年にしたいです。

さて、先日「The First Slam Dunk」と「Avatar : The Way of Water 」の二作品を視聴しました。

普段から井上雄彦先生の漫画作品を好んで読んでいるのですが、原作とは異なる視点から描いている「The First Slam Dunk」は、一味も二味も違っており大変感動しました。また、13年ぶりの続編となった「Avatar : The Way of Water 」は、その映像美に圧倒されました。192分という長い放映時間でしたが、体感時間は1時間程度でした。是非、皆様にも映画館へ足を運んで頂きたいです。

映画の素晴らしい点は、挙げればキリがありません。強いてあげるとすれば、「感動を与えられる」という点です。ありきたりですが、これは本当に凄いことだと思います。見る人間の国籍や性別、あらゆる違いを乗り越えて、勇気・希望・愛を届けられるのは映画だけだからです。

それでは、今回の主題である as if 精神論 について語らせて頂きます。

先述した映画「The First Slam Dunk」を見ていて疑問に思ったことがあります。なぜ物語の主人公桜木花道はカッコいいのか、という問いです。繊細で時には乱暴者な一面を持ち、何より予測不能な彼ですが、どうしても目が離せず、憧れてしまうのはどうしてでしょう。

それは、誰よりも自分自身を信じているからだと思います。

他の人間が何を言おうとも、自分の言ったことを曲げず、ひたすらに目標に向かって突き進む彼の姿に思わず自分を重ねてしまうのではないでしょうか。しかし、それをやるのは難しいでしょう。やはりどこかで保険をかけてしまい、自分の本当の声に蓋をして、そしてそれを正当化してしまいます。現実を見なければいけないという自己暗示をかけ、自分のやりたいことや夢に補正をかけ続けています。

それでいいのでしょうか。僕は嫌です。

では、どうすればいいのでしょうか。僕は、「自己暗示」こそ生きていくうえで最強の武器になる考えています。そこで、「as if 精神論」が鍵になってくるのです。

as if ~ とは、「あたかも~の様に」という英語のイディオムの一つです。例を挙げてみましょう。「He behaves as if he were a CEO of this company.」は、「彼はあたかもこの会社の最高責任者の様に振舞う。」と訳せます。これがヒントです。桜木花道にこれを当てはめてみましょう。彼は「あたかも天才かの様に振舞い」、そして実際に天才になりました。ここで、彼がもともと天才だったのだ、という意見はごもっともです。しかし、初心者というレッテルを天才へと変化させたのは、彼自身の信念、つまり「天才ですから」という自己暗示に他なりません。とすると、僕たちも自分自身にポジティブな自己暗示をかければ良いわけです。「僕/私は~である。」これを自分に言い聞かせましょう。余談ですが、世界的に有名なコーチングの先生であるルー・タイスは、自身の著書で「~しなければならないと考えるのは、自分の人生を生きていないも同然である。私は~であると常に自分井言い聞かせる事が肝要である。」と説いています。

「あたかも~の様に」生きていくと、巡り巡って「自分」になるのではないでしょうか。「as if 精神論」、是非お試しください。

最後までご精読下さりありがとうございました。

おわり。