こんにちは。法学部政治学科1年の木下魁人です。長かった夏休みも昨日でとうとう終わり、今日から秋学期が始まりました。春学期は大方順調に単位を取得できたため、秋学期も引き続き努力していく所存でございます。

さて、今夏のアメリカ研修は本当に充実し楽しいものでした。出会った人や観光地などはもちろんのこと、歩いた道やふと目や耳に入ってきたものまで、どんなに小さく何気ないことでもかけがえがなく、たくさんの大切な大切な思い出ができました。本当に本当に感謝です。

サンノゼ大学の学生との交流は、今回の遠征の思い出の8割以上を占めているといっても過言ではありません。それほど濃密な時間でしたし、彼らとの交流では多くの事を考えさせられました。その中でも、アメリカと日本の大学生の意識の違いに衝撃を受けました。その話を今回は書きたいと思います。

そもそも大学とは、学生が専門的な物事を自発的に学び身に着ける場であると私は考えます。

しかし、日本において、大学は勉強をする場とは認識されていないのが現状ではないでしょうか。その一方、アメリカの学生の多くは、勉学を修める事を目標に大学に入学しているのです。サンノゼ大学には、とても大きなビルの図書館があるのですが、その図書館にある自習室は勉強する学生で常時満席だといいます。もちろん、勉強が大学生活の全てだと主張したいわけではありません。しかし、大学という場に居ながら、勉学を忌避することは全くの矛盾であるというのもまた真理では無いでしょうか。

そして、受けた数多くの刺激の中でも最大だったものはサンノゼの学生から発せられた以下の問いです。

「あなたが大学生活で第一においてるものは何?」

なんという問いでしょうか。こんなにもシンプルだが深い問いは他に存在するでしょうか。

私はとっさには答えることができず、恥ずかしながら「わからない」と答えるほかありませんでした。しかし、逆に彼らにそれを問いかけてみると、全員即座に返答してくるではありませんか。もちろん、その答えは十人十色。しかし、果たして日本の学生がその問いに明確な答えをもって返答できるでしょうか。答えは否だと考えます。

なぜに彼らアメリカの学生はこんなにも明確な目標を持ち、自分を持っているのでしょうか。もちろん文化の違いによるのでしょうが、そのよう単純な説明で片づけてはならないと思います。このような個々の小さな違いが国家単位で大きな違いを生み出し、国家としての活気、繁栄に差が生まれていくのではないでしょうか。私は言い知れぬ敗北感と悔しさを味わいました。

ここで重要なことは<何を第一に置いているか>ではなく、<第一に置くものを自身で明確に設定できているか>という事ではないでしょうか。

私自身、大学四年間の過ごし方に関し日々悩み続けており、一向に正解を見出すことはできておりません。その中で遭遇した新たな価値観/考え方。本当に多くの果実を私に与えてくれました。

私は政治学を学びたくて慶應に入学しました。しかし、今やその目標は失われてしまいました。どうせ大学生活の目標が定まらないのであれば、できるだけ多くの経験をし、自らの価値観/視野を広げ、今後数十年の人生の糧にしようと思います。自分の内部に存在するそれらが、人間の真の価値になると私は信じます。その経験の一つとして、日々の授業への向き合い方も今一度初心に立ち返る必要があるかもしれません。

 

話は戻りますが、私はサンノゼを大好きになりました。

特に何か観光地があるわけではありません。

でも、あそこにはたくさんの思い出があります。近いうちに必ず遊びに行きたいと思います。

最後になりましたが、この度の海外遠征を支援してくださった方々に改めて御礼申し上げます。