失礼します。甚だ僭越ながら自己紹介させていただきます。私、本年度慶應義塾體育會柔道部に入部させて頂きました。商学部1年の真田康志郎(さなだこうしろう)と申します。以後よろしくお願い致します。
出身は神奈川県の大磯町というのどかで沿岸に位置する町です。大磯町の海はとても綺麗でたびたび映画の撮影現場にされるほどです。(大磯の海に人が全然来ないため撮影がしやすいと聞いたことがあるようなないような。) 夏になると県外から大磯ロングビーチに来る人がいるらしいのですが僕は人生で一度たりとも行ったことがありません。もし機会があれば今年の夏に誰かと行ってみたいです。
初めての部員日誌ということで私の半生について書きたいと思います。
2005年4/22に神奈川県で生まれました。私は早生まれのため他の子よりも体が大きく力もあったため足が早く幼稚園ではモテていました。今考えるとあの時が僕の人生最大のモテ期だったのではないかと思います。性格は穏やかで天使のようだったと両親から聞きました。また私は良い子で我儘を言わない、とても大人な雰囲気があったそうです。今の私ももうちろん大人の雰囲気があるはずです…そう信じています。
そんな私が柔道を始めたキッカケは兄が柔道をしていたから私もやりたくなった。だったと思います。正直あまり覚えてみませんが、当時の私にとって柔道は輝いて見えていたと思います。年長の時、私は初めて柔道の大会に出場しました。出場した小学1年生の大会で優勝した時のことを今でも覚えています。あの達成感と金メダルの光沢、重量感、両親の喜ぶ顔、チームメイトの賞賛。その全てが私には心地よく、ここから柔道と勝利の魅力に取り憑かれました。私の場合、柔道を楽しむというよりも勝利のための過程としての練習という気持ちが強かったです。
小学生時代には柔道・体操・水泳・英会話の4つの習い事をしていました。スポーツにおいて団体競技を経験していないのは少し勿体無い気がするものの後悔はしていません。そもそも私の性格上自分の実力以外で勝負が決まってしまう団体競技は苦手です。両親はそれを見抜いて個人競技を推していたのかもしれません。この4つのスポーツの中で一番力を入れていたのが柔道でした。小学生時代は平塚柔道協会(平塚スポーツ少年団)を主な活動拠点として柔道をしていました。そこだけの練習であればある程度精神的・肉体的に余裕があるのですが、父親の勧めにより毎週土日は中学生との練習をしていました。これが辛い。体格もパワーも技術も自分以上の相手と永遠と柔道の練習をする。思い出しただけでもあの時の疲労感を思い出します。そんな厳しい練習の甲斐あってか試合では勝つことが出来ていました。しかしこの頃には勝つことの快感よりも練習の辛さの方が大きかったです。そんな僕を支えてくれたのは親友のしょーちゃんでした。しょーちゃんは誰よりも努力家で僕が練習をしたくないと駄々を捏ねている間も熱心に柔道をしていました。そんなしょーちゃんがいてくれたからこそ自分を律することが出来ました。自己紹介なのですが僕を語る上での重要人物であるしょーちゃんを知って欲しかったので少し書かせていただきました。
小学生時代の最高成績は全国大会個人での2位。とても嬉しかった。しかしその結果による重圧は計り知れないものがあった。周りの期待と勝利の恒常性を求められる感覚。私の努力を評価するのではなく結果を評価する人。もちろん成長をした今の僕ならば、これが結果を残した人間のカルマであることは当たり前とわかるのですが、この当時の私にとっては何よりも辛かったです。翌年の全国大会では2回戦負け。去年勝った相手に負けました。悔しかったですがどこか解放された様な感覚がありました。
ここから私は挑戦者として柔道に取り組みました。
中学時代(金目中学校)
名門金目中学校に進学。ここからもまた辛い日々が始まりました。朝練・昼練・放課後練・夜練。これを平日は繰り返し、土日は一日練習or遠征。正直キツすぎてある一定の期間の記憶が全くありません。この時期は柔道で埋め尽くされた予定表をみることが憂鬱すぎて、予定を見ない癖が付いてしまいました。ちなみにしょーちゃんも金目中学校に進学しました。団体戦ではある程度の成績を残したが、個人戦では勝ち切ることが出来ず全国大会に出場することはできませんでした。中学3年生。それまでの集大成を大会で表現するのに最適な時期。ここでコロナウイルスが世界中で流行しました。柔道はグリップ系の格闘技なのでコロナ禍では出来るはずもなく、最後の大会は開催されることなく終わりました。今までの努力が無駄になった様などこにもやり場のない虚しさがありました。しかしコロナ禍は私の人生にとって大きな転換点でもありました。コロナ禍であまりに余ったほぼ全ての体力を勉強に注ぎ込んだ結果、慶應義塾高校に進学することになったからです。コロナがなければ絶対に私の人生になかったシナリオでした。本来ならば東海系列の高校に進学し大学は兄を追って東海大学に進学するはずでした。
高校時代(慶應義塾高校)
朝はインターバル走で疲れ果て、授業で脳みそを使い切り、放課後は柔道の練習をする。常に寝不足で体に倦怠感がありました。高校時代は今までの柔道の辛さとは別の勉強の辛さがありました。留年だけはしたくないと思い、一心不乱に勉強をしていました。テスト週間では寝る時間が惜しかったためエナジードリンク(モンスター)を1日5本飲む生活をしていました。これを5日くらい続けた頃くらいから眼球が飛び出る様な痛みが出てきました。この現象を不思議に思い原因を調べてみたところカフェインには眼圧を上げる作用があるとのことでした。
カフェインは程々にした方がいいことを学びました。
大学(慶應義塾大学商学部)
高校時代に膝の前十字靭帯を切り手術をし、膝が治ったと思ったら肩を脱臼。怪我によって柔道から不本意に離れる時間が多くありました。
日常だった柔道がいなくなり柔道ができることの有り難さ並びに柔道の楽しさを痛感しました。
商学部では柔軟な学びができるため興味を持った勉強をしていきたいと考えています。特にマーケティングや経営学について学んでいきたいと考えています。
體育會柔道部では世界大会で結果を残すことを目標に精進したします。
まだまだ未熟でありますが何事にも精進させていただきますので今後ともご指導ご鞭撻の程宜しくお願い致します。