失礼致します。甚だ僭越ながら自己紹介させて頂きます。私本年度慶應義塾体育会柔道部、並びに慶應義塾大学環境情報学部1年の山中廉(やまなかれん)と申します。以後よろしくお願いいたします。


私の生まれは大分県で、出身校は大分県立大分上野丘高校です。大分県は、別府・湯布院温泉、進撃の巨人作者諫山創氏の出身地である日田市などが有名で、食べ物も美味しいとても良い場所です。そして、大分は福沢諭吉先生ゆかりの地でもあります。大学受験の後に家族で中津市に出かけ、福沢諭吉邸並びに福沢諭吉記念館に行き、福沢先生について学んだことをよく覚えています。とても良い所ですので、皆様機会がありましたら是非大分県に立ち寄ってみてください。ちなみに、個人的にオススメな大分グルメのお店は別府市にあります「胡月」という別府冷麺屋です。

 

自己紹介ということで、ここからは私の柔道歴、勉学のことについてお話しさせて頂きます。私は先に柔道を習い始めていた兄の影響で、祖父が運営している秀鋭館道場で5歳から柔道を始めました。道場のみんなと稽古することが楽しく、日々わくわくしながら道場に通っていました。小学生になった私は他の子より体が大きかったため、大会では常に上位に入っていました。そして小学六年生の時、私は人生初の全国大会に夏、秋の2度出場することができました。

中学校は兄と同じ大分西中学校に入学しました。大分西中学校は柔道部が無かったため、秀鋭館道場の稽古と週末の出稽古をして、社会体育部として大会に出場させて頂いていました。1年生の時、天理高校に進学していた兄がインターハイ団体戦の決勝メンバーとして試合をし、優勝を勝ち取ったのを私は会場で見ていました。そこで私は大きな影響を受け、柔道で兄に追いつきたいと思いながら稽古を頑張りました。そして2年生の時に大分県新人戦で優勝し、九州でも互角に組み合うことができる同階級の選手が増えてきました。「3年生での全中出場、九州大会での上位入賞という目標が夢では無くなってきたぞ!」と意気込んで稽古に精を出していたその時、新型コロナウイルスの流行によって、中2の3月から先の大会は全て中止になりました。そこで私の頭は柔道モードから勉強モードへ完全にシフトし、これまでとは比較にならないほど勉学に励みました。またこの時中2の時に少し考えていた、兄と同じ天理高校の受験は選択肢から外れ、大分上野丘高校を受験する事を決めました。

努力の結果高校受験を合格し、大分上野丘高校に進学しました。しかし、中3でこれまでに無いほど勉強にのめり込んでいたため、心の中で「高校受験合格」がゴールになってしまっていて、高校1年、高校2年の途中までは勉強にも柔道にもどっちつかずな日々を送ってしまっていました。しかし、テストでもそこまで高得点を取れず、そして柔道でもなかなか勝ちきれずにいた自分、「勉強も難しくて大変だし、柔道部員も少ないし、この結果になるのはしょうがない」と考えていた自分を変えようと高校2年の夏休みについに決心し、勉強と柔道両方、目標を高く持って努力するようになりました。その結果、テストでも学年順位1桁に入る科目ができて、柔道でも大分上野丘高校柔道部として20年ぶりの九州大会に出場することができました。九州大会は1回戦で福岡県の選手に負けてしまいましたが、試合会場で笹野誠一監督から声を掛けて頂き、慶應義塾大学SFCのAO入試を受けることを決めました。そこからは、大変ありがたいことに大学柔道部の先輩方、監督の手厚いサポートを頂きながら受験の準備を行いました。しかしAO入試を合格するのは難しく、落ちる可能性の方が高いものでした。そこで役に立ったのが勉強です。AO入試がダメだったとしても一般入試で受かる学力を付けること、第2の刃を持つということが精神的な余裕を与えてくれました。結果的には様々な人達に支えて頂いてAO受験で合格することができましたが、勉強の大切さを大きく感じることができた受験でした。

そして現在、大学に入学してから2ヶ月近く経ち、少しずつこちらでの生活にも慣れてきました。今の目標はとりあえず、受験期に20kg以上落ちてしまった体重を戻すことです。そして、新入生の中で私が一番弱いので、早く受験期のブランクを取り戻し、同期に追いつけるよう日々の稽古に精進して参ります。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

稚拙な文章で申し訳ございません。ご精読ありがとうございました。