失礼致します。甚だ僭越ながら自己紹介させて頂きます。私本年度慶應義塾體育會柔道部、並びに慶應義塾大学商学部1年の入住凱(いりずみがい)と申します。以後宜しくお願い致します。階級は73kg級で、出身校は本郷高校になります。中高では6年間の男子校生活のおかげで良くも悪くものびのびと過ごさせて頂きましたが、既に始まった大学4年間の共学ライフに心を躍らせている毎日でございます。
最初の投稿ということで、私の経歴について書かせて頂きます。幼少期は水泳、書道、サッカー、体操など様々な習い事をやっていましたが、どれも2、3年で辞めてしまい、小学四年生の頃から塾に通い始めるという生活を送っておりました。その後中学受験をし、本郷中学校に入学致しました。一年時は何も考えずにサッカー部に入部したものの、ついていけず、2ヶ月で幽霊部員になるという当時のサッカー部退部最速記録を叩き出し、勉強もせずにゲームばかりしていました。何とも怠惰な少年です。そんな時、クラスで一番仲のよかった友達に柔道部に来ないかと誘われました。最初はいく気が無かったのですが、当時の柔道部の一年生は彼1人だったため、とても熱心に誘ってくれて、そのおかげで柔道部に入部する運びとなりました。初めて本郷の柔道部の稽古に参加した時のことは今でも覚えています。初心者だったので受け身から習ったのですが、そこまで汗をかかないで済む、なんて楽な部活なんだ、と愚かな私は柔道というものを侮っていたのです。当然本格的な稽古が始まってからは稽古の日が嫌になることが多々ありました。やはり人間の性格は簡単に変わるものではなく、高校一年生になるまでは柔道に対して熱意はありませんでした。ところが転機が訪れます。都大会の試合を観に行った際、当時の修徳高校の60kg級の佐藤星衣選手が豪快に一本を連発しているのを観て、私の心は完全に柔道に奪われました。そこからというもの、寝ても覚めても柔道のことばかりを考えるようになったのです。そして私が勉強をするようになったのもちょうどこの頃です。部活に熱心に取り組み、忙しくなったからか、隙間時間を活用して勉強するようになりました。試合で結果を残すことはできませんでしたが、人として大いに成長したと思っております。今思えば、あまり縛らず自由にやらせてくれる本郷の校風が私に合っていたのでしょう。母校大好きです。
ここからは慶應義塾體育會柔道部に入部するまでの過程について書かせて頂きます。まず最初に、私と慶應義塾體育會柔道部のご縁は、本郷高校柔道部の顧問である久保先生と入道さんが知り合いだったことにあります。合同稽古に参加させていただいたり、大会に出させていただいたりと、様々な所で関わる機会があり、そこから慶應義塾大学への受験を考え始めました。高校二年生の3月時、入道先輩と井口先輩に、AO入試を受けないかと提案を受けたことは間違いなく人生のターニングポイントだと思います。AO入試の面接練習を行う中で、山田陸斗先輩を始め多くの先輩と喋り、私の目指す環境は絶対にここだ、と感じたのを今でも覚えております。面接練習の時から非常に楽しかったです。先輩方ありがとうございました。死ぬ気で面接に取り組みましたが、現実はそう甘くなく、AO入試では不合格という結果を叩きつけられました。それからしばらくの間、私は感情を失ったように受験勉強に取り組みましたが、伸びない自分の成績に嫌気がさす毎日を送っておりました。それでも諦めずに頑張れたのは、AO入試での先輩方との関わりがあったからです。AO入試がなかったら、私は間違いなく一般入試でも合格を勝ち取れていなかったでしょう。全ての出会い、経験に感謝です。
今年の慶應義塾大学体育会柔道部一年は、プレイヤー10人、マネージャー3人と、とても賑やかです。塾高出身の猛者や同じ進学校出身の者、オリンピックを観て始めた者など、多くの個性的な仲間から日々刺激を貰っております。マネージャーもとても意欲的で、昔からの知り合いが居たりと、様々なご縁に恵まれていると思います。さらに、既に先輩方にもかなりお世話になっており、本当に尊敬の念でいっぱいです。先輩方の背中を追いかけ、いつか必ず恩を返せるよう、精進して参ります。
そして最後に慶應義塾大学体育会柔道部で目指すものについて書かせて頂きます。半年以上の柔道を出来ない期間を耐え抜き、ようやく目指していた環境で柔道をすることが出来ます。当たり前に柔道が出来るという環境への感謝を忘れず、これからも執念を持って、塾柔道部に貢献できるよう、全力で取り組んで参ります。まだまだ未熟ですが、ご指導ご鞭撻の程宜しくお願い致します。