失礼致します。甚だ僭越ながら自己紹介をさせていただきます。私、本年度慶應義塾體育會柔道部並びに、慶應義塾大学商学部1年の南雲宥位(なぐもひろたか)と申します。以後よろしくお願い致します。出身高校は慶應義塾高等学校で、本庄市という、埼玉県の北西部に位置している田舎町の出身です。自己紹介で地元のことを話すと、本庄って何か有名なものとかあるの?と聞かれることがしばしばあるのですが、悲しい哉、特にこれといったものが何もありません。一方で、本庄市のお隣深谷市は今年の大河ドラマの主人公である渋沢栄一の出身地ということでここ最近非常に注目されていまし、日本一暑いまちで有名な熊谷市がさらにその隣に位置していることから、本庄市の存在感は埼玉県の県北エリアに絞ってもなお近隣の2つの都市の影に隠れてしまっています。強いていうならば、早稲田大学本庄高等学院という我々慶應のライバル校がありますが、その影響か本庄市は慶應よりも圧倒的に早稲田の認知率が高い街であることは間違いなく、これ以上本庄のことを話すと悲しくなってしまうのでこの辺りでやめておきたいと思います(散々言ってきましたが本庄のことは大好すきです)。
話がかなり逸れてしまいましたが、今回は自己紹介ということですので、ここからは私の柔道の経歴についてお話しさせていただこうと思います。私が柔道に出会ったのは、小学1年の時でした。その時のことはあまり記憶に残っていないのですが、当時あまりにも運動神経が悪かった私の今後を心配に思った両親が、私に何かしらのコンタクトスポーツをやらせることでせめて転んだ時に怪我だけはしない様になって欲しかった、というのが私が柔道を始めるきっかけであったと聞きました。始めた当初は先輩たちや同級生に投げられてばかりで、毎日嫌々通っていたのを記憶しています。それでも下手くそなりに数年続けた結果、徐々に練習や試合で対戦相手を投げることができる様になり、柔道を楽しむことができるようになったと共に小学校を卒業してからも柔道を続けたいという気持ちが芽生えるようになりました。しかし、地元の中学校には柔道部がなく、これが私が中学受験をするきっかけになりました。
そして、志望校選びの際、中学から大学まで柔道部があったことや、学校見学に行った時に雰囲気が自分に合っているのではないかと感じたことで、慶應義塾普通部を受験し、なんとか合格することができました。普通部時代は、当時柔道部の顧問をされていた鈴木淑博先生の教えの元、3年間非常に楽しく自由に柔道をさせていただき、普通部卒業後はそのまま慶應義塾高校でも柔道部に入部する事を決めていました。塾高柔道部が非常に厳しいところであるというのは、普通部からの先輩で先に塾高柔道部に入部されていた、小野佑眞先輩や、鈴木先生から聞かされていましたが、詳しいことは何も知らなかった当時の私はなんの迷いもなく塾高柔道部の門を叩いてしまったのです。
楽しい思い出の多かった普通部時代からは一転、塾高は私にとってみればまさに茨の道でした。入学以前に私が想像していたものよりも遥かに厳しい稽古が毎日続いただけでなく、同期が進級していく中、私一人だけ塾高の中で毎年のように頻発している時空の歪みに巻き込まれ同じ学年を2度繰り返す羽目になってしまいました(これに関していえば私の努力不足のせいですが…)。その上厳しい稽古をしていたにも関わらず、試合結果もとても自分自身満足のいく結果ではなく、いつしか小・中学生時代好きだったはずの柔道が嫌いになってしまい、部を辞めたいと思う時期もありました。それでも、部員や家族が常に優しく親身になって支え続けてくれたこと、そして顧問の鏑木先生の厳しくも愛のあるご指導のおかげで4年間頑張り続けることができ、4月からやっと大学柔道部の一員となることができました。
最後になりますが、大学での目標と致しましては、早慶戦のメンバー入りと早慶戦優勝を掲げさせていただきます。私は先輩方や同期に比べ、実力・試合実績共に劣っています。そのため、弱い自分に打ち勝ち、地道に努力を積み重ね、少しでも早く追いついて部に貢献できるよう精進していきたいと思っております。また、高校の時に疎かになってしまった勉学も、もう一度中学受験をしていた頃を思い出し、ただこなすだけでなく向上心と明確な目標・目的を持って取り組んでいきたいと思います。
拙い文章で申し訳ございません。今後ともご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い致します。