2023年も残りわずかとなりました。例年よりも寒さが厳しくないように感じますがまだまだ気は抜けません。ご無沙汰しています、松永蓮太郎です。
今年の部員日誌も最後ということで2023年を簡単に振り返りたいと思います。
まず2023年は一つの人生の大きな教訓を胸に刻んだ年でした。それは「大切な想いは言葉にしてはいけない」ということ。
どこで見たのか聞いたのか、すっかり忘れてしまったのですがこれは世の真理な気がします。人の真の思いなどは決して表面化してはいけないもので、口に出したり表現した瞬間にその言葉のほとんどの意味や力は失われる、とそんな内容の言葉だった気がします。分かる方がいたら是非教えていただきたいです。
さて、私がその言葉の重み、真意を理解するに至った経緯としては戸狩合宿を乗り切ったことが挙げられます。直後に一年の内でも大事な東京都学生が待ち構えていた状況で私は目標を誰にも言えずにいました。その言葉にしては行けない部分、あえて言語化するのであれば稚拙な言葉にはなってしまいますが「プレッシャー」、「責任感」、「恥」、「矜持」とでも言うのでしょうか。それらは誰かに話してしまった瞬間に軽くなってしまう気がします。他人に共有すべき気持ち、してはいけない気持ちの区別をしっかりつけることが一柔道家として最大のパフォーマンスを可能にする最低限条件なのではないかと感じます。チームメイト間でも、恋人でも、家族でも、ギリギリまで打ち明けてはいけない想いを持つべきなのではないでしょうか。ひたすらに内外から襲いくる苦痛と向き合う武士っ「ぽさ」が必要ということです。これらをひけらかさず自身の内側に留める苦痛に耐え切った末、合宿明けは力がみなぎっていた気がします。苦痛に耐えながらもそれは表面化しない、人には当たらない、いつでもしれーっと大胆不敵な笑みで乗り越える、そんな「ぽさ」を来年も大切にしていきたいと思います。
次に支えてくれる人の重要性。
21歳になっても尚人生は最悪の方向に裏切ってくることを実感しました。
夢の在処に見えた全国の舞台が果てしない階段の入り口だった絶望感、部内のいざこざがもたらす焦燥感、早慶戦大敗北の惨めさ。挙げればキリがありません。
そんな最悪の深い闇はいつでも口を開けて私たちを待っているわけですが、そんな時に支えてくれる人が多くいることに気づいたのもまた事実です。
2023年救われた言葉大賞でも発表しましょうか。
「個人的なエゴにはなるけど最後の年はお前自身のために頑張って欲しい」
「松永、色々あるけど負けずに頑張れよ」
「それは勿論お前だろ」
「人生山あり谷ありだけどきっと全部楽しいわ」
「お前な、便所虫お前な」
「人間万事塞翁が馬ってことよー」
「武者修行だと思って必死に耐え抜け」
本当はこれも表現してはいけない言葉たちかもしれませんが、最後の年までとっておくのも勿体無いので吐き出しておきます。
本当に大切なモノは失ってから気づきますが、失う前に苦境に立つことでその有り難みを実感できる、この一点に関しては苦境に感謝といったところです。
今年は高校以来またしても小さくて五月蝿いPに救われました。親の偉大さも痛感しましたし、信頼してずっと応援し続けてくれる人の存在も実感しました。
そんな人がたった一人いてさえくれれば私は苦境を乗り越えられる気がします。ほぼ永久機関です。
この事実に気づけた2023年は大きな一年だと断言できます。
最後に敵の強大さ。
先日力試しに埼玉県大会に出場しましたが、雑な部分が露呈し見事に敗北。
当然悔しさはありましたが一方、自身の弱さを知るためにも大会に参加したので得たものの方が大きかったです。
しかしそこで自身の弱さに留まらず、相手の強大さも知りました。年々変化する勢力図にルールや柔道スタイル。今の私は自分の目標に到達できるほどの要素が揃っていない、「あっち側」の選手にはなれていないのが現状です。勝つべくして勝つ選手、果ては人生の転換点で勝つためにも己の柔道と向き合い続ける必要性を実感しました。
正直今は自身の目標達成のために必死です。他人に構っていられるかつての私ではなくなっています。どこまでいっても柔道は個人競技、自己中に貪欲に最後の年は柔道に臨みたいです。綺麗事も置いていきます。
早慶戦の日、中内先輩とお話ししました。
「目標が小せぇよ、もっと貪欲に。最後の年は本当に悔いを残すな。」と。
まるで五条悟のようなことを言う中内先輩の格言を胸に、応援してくれる人たちの想いを胸に、自分自身のために最後の年は大切に駆け抜けます。