ご無沙汰しております。商学部一年の都倉です。この挨拶をするのも今回で最後です。というのも先日の成績開示で華麗に進級を決め、無事に2年生になることが決定したからです。来年度もどうぞよろしくお願いいたします。

一年時の授業を振り返ってみると、面白いものからつまらないもの、楽なものから大変なものまで様々でした。リシュルートの情報だけを頼りに、俗に言う楽単を上限ギリギリまで詰め込んだ割には充実した履修だったような気もします。2年は単位数にも余裕があるので、楽単かどうかはあまり考えず、面白そうな授業をどんどん履修していけたらいいなと思います。

柔道部の活動はというと3月9日から練習が再開され、16日にようやく乱取りが解禁されました。指や脛は痛みますが、やはり約2ヶ月ぶりにする乱取りは楽しいです。怪我には細心の注意を払ってどんどん練習の強度をあげていきたいと思います。

 2ヶ月と少しの自粛期間は暇な時間がたっぷりとあったので、様々なことに考えをめぐらせる時間も増えました。今回はそんな一人で物思いに耽る時間に思いついたことについて書きたいと思います。それは、何事においても「終わりを意識すること」がとても重要なのではないかということです。つまり、人生にしても、学生生活にしても、一日にしても、一回一回の練習にしても、いつかは終わってしまうということを強く意識するのが大切ではないかということです。なぜなら、人間は往々にして貴重な時間や機会を無駄にしてしまうことがあり、それは終わりを意識できていないということが原因のように思えるからです。今は長い自粛期間の後ということもあり、多くの人が練習できることのありがたみを感じ、集中して練習に取り組むことができていると思います。しかし、これが日常になるとそういうわけにはいきません。練習したくないな、今日ぐらいはいいか、適当に済ませてしまおう等といった気持ちになり、貴重な一回の練習を無駄にすることがあると思います。そして、試合前や引退前にあのときもっと練習しておけばよかったと後悔するのです。そういった後悔をしないためにも、長いようで短い残された時間を意識することが大切であり、それは同時に非常に難しいことでもあると思います。常に終わりを意識することを忘れないように今から頑張ります。

なぜこのようなことを思いついたかというと、秋学期に履修した歴史の授業の課題図書の「葉隠入門」という本を読んだからです。この本は三島由紀夫が、彼が生涯で最も影響を受けたと公言している、江戸時代中期に山本常朝によって書かれた「葉隠」を解説しているものです。
葉隠といえば、「武士道といふは、死ぬことと見付けたり」という一節で有名であり、僕も葉隠入門を読む前は過激な、軍国主義の土台となった本の一つというイメージを持っていましたが、三島によると、葉隠は「常に死を意識することがより生を輝かせる」といった内容を説いているようです。とても大雑把にまとめましたが、僕はこの主張になんとなく納得し、先ほど書いたようなことを思いついた次第です。

それでは、前回の部員日誌クイズの答えを発表します。答えは「焼肉」です。小さい頃から食への執着が凄まじかったようですね。

では今回のクイズです。僕の得意料理はなんでしょう。正解は次回発表です。

なんだかとりとめのない文章になってしまいました。申し訳ありません。
部員日誌も「あと何回書けるのか?」と考えながら書くと良いことが書けるような気がしてきました。適当に書いちゃおうと思ってしまう方は是非残りの更新回数を数えてみてください。意外と少ないと思います。暖かくなってきていますが、どうか油断されずにご自愛ください。

それではこのへんで失礼します