こんにちは。五十嵐です。
2021年最初の部員日誌です。
皆様、年末年始はどう過ごされたでしょうか。
私は初日の出を見る予定が、寝過ごしてしまい、起きた時には頭上の太陽が暖かーく笑っていました。悔しい。何はともあれ今年もよろしくお願いいたします。
さて、新年1回目の部員日誌。せっかくなので今年の抱負をドドーンッと宣言したいところではありますが、恥ずかしながら一言でドンと書けるほどまとまっておりません。この文章を書きながら言葉にしていきたいと思います。
前回の部員日誌に日本一の漫才師を決める大会(=M-1)が楽しみだというお話を書かせていただきました。(またこの子お笑いの話し始めたよ、とか思わないで、今年の抱負に繋げるので、温かい目で見守ってください。)
この大会で一つ、世論を騒がすような議論が提起されました。それが「漫才か漫才じゃないか論争」です。
これが一体何かといいますと、この大会の王者に輝いたマジカルラブリーというコンビの披露したネタがボケ役がほとんどしゃべらず、床を転げまわるなど大暴れするというもので、ネット上では“漫才か否か”で議論が巻き起こりました。
正直、私はお笑いに関しては趣味程度の熱量なので、全く詳しくもなにもありません。歴史的な知識もなければ、深く考えたこともありません。
でもただ一つこの議論から私が気がついたこと、というか再確認したのは「定義は時代や個々の価値観とともに変わり動きゆく流動的なものである」ということです。
この場合、現時点で漫才とはこう言うものだ、と誰もが首を縦に振るような定義付けを行うことはできないと思います。
勿論、辞書や広辞苑を開けば硬い言葉がでてくるとは思います。しかし、昔々の顔も見たこともない人が決めたそんなこと疑いもなく飲み込むことのできる時代ではありません。ネット上で全世界と1秒で繋がり、顔の見えない相手と議論を交わし、膨大なデータや資料をワンクリックで手元に落とすことができる、昨日正しかったことが今この瞬間覆されるそんなことが簡単にあり得る時代に生きています。
加えて、誰しもが自由な思想の中で自由に物事を定義付けすることができるこの時代において、この論争は限りなく平行線であると思います。
このように他人の物事に対する定義付け、即ち価値観と言い換えてもいいと思います、これを理解し、多様な価値観を押し付け合うことなく、受け入れることが重要だと再確認しました。
またそれに固執することなく、自分自身なりの定義付け、及び自分自身の価値観に基づいた確固たる判断軸を持つこと、これが必要で自分に足りない部分なのではないかと感じました。
自分でもごちゃごちゃしてよくわからないですが、要するに、今後「あらゆる事象に対し、自分自身の価値観に基づく考え方や意見をしっかり持つ、ただそれに固執することなく多様な考え方を受容しつつ他人と共存する。」ということを心がけながら生活していきたいと思います。
さて、聞いていたラジオも終わりを迎え、部屋にはひんやりとした空気が漂い、新聞配達のバイクの音が聞こえてきました。お日様が地平線の向こうから顔を出しそうな気配がしてきます。
そろそろ締めましょう。
2021年も始まって1ヶ月を経とうとしています。
まだまだ先の見えない日々ではありますが、次の部員日誌を書く頃には柔道ができていることを祈り、一日一日を充実させていきたいと思います。
皆様もお体にはお気をつけてお過ごし下さい!