こんにちは。法学部政治学科1年の木下魁人です。
先日Mr.Childrenの桜井和寿さんが主催するBank Bandより新曲が発表されました。
曲名は「カラ」です。
最初私は、曲名について、多様化する現代社会を表象する”カラー”を意味していると思いました。
しかし、正解は ”殻” でした。
以下は桜井さんが発表に際し寄せたコメントからの抜粋です。
『 「自分」という、
または
「自我」という殻がある。
ある日、その殻を破って「新しい自分」なんぞを見つけた気分になることがある。
しかし、
ヘビとかトカゲが何度も脱皮を繰り返すように、やはり、そこにいる「新しい自分」も、
しっかり皮に包まれている。
きっと
いろんなところに「殻」が「皮」がある。
ルールだったり、道徳だったり、概念だったり、倫理だったり、経済だったり、、、
社会を営むためには、枠組みや線引きが必要だ。
それがあるからこそ、この世界で生きていられる。
でも
それがあるからこそ、
窮屈で、生きづらさも感じてしまう。 』
桜井さんの洞察の深さにはいつも感動させられます。
自分の殻を破壊できた際、人々は生まれ変わることができたような気になるものです。
しかし現実には、新生の自分は新生児のようには純粋無垢ではないのです。
この事実には全くの盲点でした。
殻という言葉からは色々な言葉を連想させられます。
貝殻、卵の殻、甲殻類の殻などです。
これらの殻は、外的な影響から中身を保護するものです。
同様に、人間の殻も周囲の人々や環境に晒される中で形成されます。
しかし、人間の殻の実体は
周りの要因を取り込んで成長のために自らで形成するというポジティブな物というよりかは、
周りの要因から自らの内に秘めるジブンを保護するために形成されるネガティブな側面が強いのかもしれません。
ちょうど、土仕事を生業とする人々の掌が硬い皮膚で覆われているように。
だからこそ、自分の殻を破るという言葉があるように、人々は常に脱皮し自分を変えようと試みてきたのではないでしょうか。現状に違和感を覚え、もがき苦しんできたのではないでしょうか。
桜井さんが、社会における枠組みや線引を社会の殻に例えているように、社会のルールや道徳·倫理というのも何かしらを護るために設けられたものだということに気づきます。
同時に、
変化し続けることが宿命の社会において、何かが元来の形を保ちつつ存在するということは重大な矛盾を引き起こす。
この矛盾こそが、人々が窮屈さや、生きづらさを感じる要因なのではないでしょうか。
現在、私自信も現状に違和感を感じ、殻を破ろうとしています。
しかし、殻を破ろうとしていることそれ自体が殻であるのかもしれません。
自分を何か新しいものに変えようとする際、その”新しい”何かは自らが思い描いたもの、つまり、既に固定化されたものであるのです。
そうであるからこそ、殻を受け入れ、それと上手く付き合っていくことが大切なのではないでしょうか。
殻は周囲の影響によって形作られると先ほど述べましたが、そのような人とのつながりを大切にしていくことが殻と上手く付き合っていく秘訣なのかもしれません。
“何の意味を持って生まれた?
その問いにこそもう意味はない
ただ「ともにある」
「あなたとある」
関わり合って生きている
誰もが皆
空になってららら…
いつか殻を破ってららら…
生まれては消えてゆく
そんな繰り返しの
輪の中に僕はいて
君と重なってる
この出会いの「ありがとう」は
誰に伝えればいい?
この出会いで
きっと少し未来は変わるだろう
変わるだろう
変わるだろう
変わるだろう”
終わり