みなさんこんにちは、海外かぶれなのか特有の紫外線のせいかちょっといいサングラスを奮発してカッコつけた結果、見事に逆パンダ焼けをいたしました、環境情報学部の陶です。ここ数日シェアハウスのWi-Fiの調子が悪く日本のサーバに接続できずじまいで日誌の更新が遅れておりました、決してどタイプのめちゃくちゃ可愛い女の子が働いているPubに通い詰めていたせいではございませんので悪しからず。

ちなみにその子はめちゃくちゃ可愛いです、大事なことなので二回言いました。

前回からまた日が経ち、私の生存報告兼与太話に今回もお付き合いいただければと思いますが、日本の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。柔道部では夏帰省に戸狩合宿などと昨年まで見送られてきた行事が復活してきているようで、私もみなさんと同様にSNSや部員日誌で皆の頑張りを拝見している次第です。

さて、今宵はどんな与太話を繰り広げようか、正確には二日酔いでリスケをしたばかりの早朝ですが張り切って頭を捻っております。

前回の日誌以降の新たの個人的ニュースといえば、今月の初めに無事カナダ一周年を達成したことでちょっとだけ威張れるようになったぐらいです、本当にこの1年間は怒涛でした。その総括はまた次回の日誌の時にでもしようかと思いますが、一年という節目のせいか同時期に留学を始めた友人たちも続々と母国に帰っている寂しい時期にもなります。この数週間で何度Farewellと口にしたことか、思い出すだけで涙が出そうです。

ここで少し思ったのですが、Farewellって言葉カッコ良すぎませんか?

“さようなら”と伝えるために“良い旅路を”なんてオシャンな言い回しを使うなんで、さながら寿司にはわさびみたいなジャパニーズソウルみたいです。少し気になって由来を調べたことがあるんですが、逐語訳に直すとまた違った表現になっていました。FarewellはFareという古語動詞とwellという福祉から成り立っているそうです。Wellの意味はみなさんご存知“首尾よく”というニュアンスになっていますが、fareという単語を古語動詞として訳すと“乗り越える”といった表現になるようです。つまり、直接的には“(その後の難局を)首尾よく乗り越えろ”といった激励の言葉となっていました。それが転じて“良き旅路(人生)を”という表現に変わるなんて、なんともガッツが入る表現ですね。

そしてここで天才の私は気づいてしまったのですが、どうやら昔の人々も人生は乗り越えるべきものだと思っていたようですね。よく日本語では人生という言葉に対して“過ごす”や“送る”といった表現を使うため、どうにも受動的な感覚を覚えてしまいますが、実際の日々と照らし合わせるとどうにも呑気に過ごしてる暇がないぐらいに人生というものが過酷なのは言うまでもありません。奴(人生)はなんとも意地が悪く、終わりというものが必ず存在してるのにそれがいつかは教えてくれず、その挑戦の結果が見え透いていたとしても実際のところどうなるかは挑戦するまで教えてくれない。それなのにいつもうまい具合で飴を用意してるもんだから、僕らはまた性懲りも無く人生をより良いものにしようと頑張っちゃうんですよね。

おっとこれは失礼、また臭い文章を書き連ねるところでした。まだちょっと二日酔いで頭が痛いので今回は本気は出さないでおきます。もし私と人生について語らいたい人がいましたら、是非とも帰国後に語らいましょう。

では、