こんばんは、先日のサーキットトレーニングのV字腹筋で絶望的な筋肉痛に襲われている南雲です。本日は自宅の自室から失礼します。

先日、同期の櫻井がオフを使って北海道旅行に行っていました。一人旅、良いですよね。ただ、やってみたいという気持ちはあるものの、私のようなスーパーウルトラ引き篭もり人間にとって「外出」、という行為はあまりにもハードルが高いものです。特に最近は暑いし。

そんな私が強制されなくとも唯一アクティブに外に出て行動できるものが、アイドル(主に櫻坂46)のイベントです(皆さん、でしょうね、というツッコミは一旦飲み込んでください)。

なぜ自分はこんなにもアイドルモチベが高いのか、少し暇だったので考えてみたところ、最終的な結論として行き着いたのが、「非日常」であるという理由です。

アイドルのイベント、というのはめちゃくちゃ特殊(興味ない人から見たらクソキモい)で、たとえばお話会で普段はテレビやスマホ画面の向こう側にいる推しメンと話せたり、ライブの曲や演出、コール&レスポンスで盛り上がったり、関連の展示を鑑賞しに行ってそれらの余韻に浸ったりと様々です。そしてオタクの私にとってはこれらが生きがいと言えるくらい滅茶苦茶楽しいです。ですが、こんなイベントが毎日あったらどうでしょうか?オタ活は、「非日常」だからこそ楽しいのであって、それがもし「日常」になってしまったらきっと楽しくなくなるはずです。

ところで、皆さんは「日常」、「非日常」の定義の差は時間的な要素だけだと思いますか?恐らく多くの方はそうではないと考えていると思いますし、私もそれだけではないと感じています。では、その差は何でしょうか?

私は、「義務感」や「責任感」といったストレスフルな感情の有無だと感じています。普段の勉強、部活、仕事などの「日常」は、常にストレスフルな感情で溢れているものです。しかし、そのような感情は、しばしば「やりがい」へと昇華します。だからこそ大変だけど、「充実した日常」が生まれるのだと思います。そして、そんな「日常」があるからこそ、非日常空間に入った時の没入感はたまらないし、逆に今度はそれがモチベーションの一つになって日々の「日常」をより頑張れる、というサイクルが理想なのではないかと勝手に捉えています。

では、なぜ「日常」に責任感、義務感が必要で、「非日常」には不要なのでしょうか。私が考えるに、それは「競争」が有るか無いかだと思います。人間の日常には、競争が溢れています。たとえば、勉強だったらテストがあって、合格点や平均点などに支配されます。我々がやっている柔道だったら、勝敗があって、我々はまさにその勝敗に支配されています。

ただ、私はこれが悪いことだとは全く思いません。なぜなら、勝敗が無ければ人は頑張れないと思うからです。頑張った者にはそれ相応の報酬があり、頑張らなかった奴にはそれ相応の報いがあります。私は今までの23年という短い人生ですが、かなり大きい場面で両方を経験しました。ただ、これは一つ一つが人生の財産であり、教訓にもなっています。

ただ、競争に支配された世界にい続けると、疲れます。心も身体も。ストレスフルな感情はやりがいへと昇華せず、コップの中に溜まり続け、それが溢れ出した時人は限界を迎えてしまいます。だからこそ、人間は非日常の世界を、競争のない世界を心のどこかで渇望しているのだと思います。それが前述した旅行だったり、私だったらアイドルの推し活だったりするわけです。

話は少し逸れますが… かつてアイドルオタクだった人がアイドルになると、そのギャップに本当に苦しむのではないかと勝手に推測しています。今まで「非日常」の空間として捉えていた、憧れの幻想的な世界が急に「日常」に変わった時。常に他の競合グループと正に文字通り競い合いながら、ファンが求めるニーズに、いや、それ以上のものに応え続けなければいけない「責任感」と常に戦わなければならない。さらに、最近では不必要なまでに発展してしまったSNS社会における誹謗中傷。そんな荒波にいざ自分が飲み込まれた時、私のような未熟者の心と身体は到底耐えうることができないと思いますし、そんな生馬の目を抜くような世界を生き抜いている彼ら、彼女らを私は本当に尊敬しています。

だからこそ、彼ら彼女らが身を心を削りながら作ってくれている「非日常」の空間を、私たちオタクは「非日常」の空間として純粋な気持ちで存分に楽しみきることがアイドルの皆さんに対する最大限の誠意だと私は勝手に考えています。誰かに強制する、誰かに強制される、誰かと争うのではなく、ただ自分の好きなメンバーを、自分の好きなグループを心から愛することこそがアイドルに対する最大の恩返しとなるのだと思います。綺麗事ですかね。

色々と思うことがあり、自分への戒めも込めてだいぶ思想の強い気持ち悪い内容になってしまいましたが… 何が言いたいかというと、人生を楽しく生きる上では、「日常」と「非日常」を正しく使い分けることが、自分も他人も傷つけない上手な生き方なのではないかと感じた、ということです。

最後に一言、推しメンの小池美波さん!お帰りなさい!!!!!

終わり