平素よりお世話になっております。理工学部二年の城武卓頼です。
悪天候の日が多く、梅雨前線の到来をしみじみと感じる今日この頃ですが、皆さまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。私は毎週の実験レポート提出に追われ、漸くレポートが人並みに書けるようになったと成長を感じております。
さて今回の部員日誌は「性格」をテーマに執筆させていただきました。
それではどうぞ。
1. 性格とは
皆さんは、性格はどのように形成されるものだと考えますか。
この問いについて考えると、多くの人はまず「そもそも性格とは何か」という定義を考えると思います。しかし、それを深く議論すると今回の主題から少し離れてしまうため、本稿では便宜上、辞書的な意味である「行動のしかたに現れる、その人に固有の感情・意志の傾向。」(コトバンク)を「性格」と定義します。
それでは、この性格はどのように形成されるのでしょうか。
2. 性格形成の要因
今回のテーマを端的に表すと、「性格の形成方法」です。
私は性格形成には二つの要因があると考えています。
一つ目は、環境に適応する過程で形成される性格です。本稿ではこれを適応機制と呼ぶことにします。人は成長の過程で、置かれた環境の中で生きていくために様々な行動様式や価値観を身につけます。その結果として形成された性格が適応機制によるものです。より簡単に言えば、「そうしなければ生きられなかった結果」です。
二つ目は、私が以前から考えていたもので、「自分がそうなりたいと意識的、あるいは無意識的に考えた方向へ自らを変化させていく働き」です。これを人格ベクトル論と呼ぶことにします。
ベクトルとは向きと大きさを持つものです。人はそれぞれ異なる方向を目指し、その思いの強さも異なります。その意味で、この名称は比較的適切ではないかと考えています。
3. 性格形成の方法
先に私の結論を述べます。
幼少期に形成された適応機制が土台となり、その後の性格は適応機制と人格ベクトル論の影響を受けながら形成されていく。
これが本稿の主張です。
4. 具体例
分かりやすくするために、自分自身の経験を例として挙げてみます。
私は中学生の頃、どのような状況でも冷静に物事を分析し、感情に流されず合理的に判断できる人間に憧れていました。そのため、意識的に自分の感情を抑え、常に客観的な視点から物事を考えようとしていました。結果として、以前よりも冷静に考える傾向が身についたように思います。
この例は一見すると人格ベクトル論によってのみ形成された性格のように見えます。実際、「冷静な人間になりたい」という意思が私をその方向へ変化させたことは間違いありません。
しかし、ここで一つの疑問が生じます。なぜ私は冷静な人間に憧れたのでしょうか。なぜ情熱的な人間や感情豊かな人間ではなく、そのような人物像を理想としたのでしょう。
私は、この選択自体にも既に存在していた性格が影響していると考察します。そして、その性格をさらに遡っていけば、最終的には幼少期に形成された適応機制へと行き着くといえるでしょう。
つまり人格ベクトル論は性格を変化させる力ではある一方で、そのベクトルそのものは、幼少期の適応機制によって規定されているのではないでしょうか。
もう一つ例を挙げます。
私は問題に直面した際、まず定義に立ち返り、前提を疑うという行動パターンをとることが多いです。この考え方は物理や数学を学ぶ中で必要性を感じたことによって身についたと考えています。また、「そのように考えられる人間になりたい」と意識していたことも大きな要因です。
そのため、この性格は適応機制と人格ベクトル論の両方の影響によって形成されたように見えます。
しかし、ここでも同様の問いを立てることができます。なぜ私は物理や数学を理解したいと思ったのでしょうか。なぜその考え方に価値を感じたのでしょうか。
そのきっかけとなったのはある物理の先生の言葉です。しかし、その言葉が強く刻まれ、自分の価値観として取り入れようと考えたこと自体は、その時点で既に持っていた性格によるものだと考えられます。
そして、その性格をさらに遡れば、やはり幼少期に形成された適応機制へと辿り着きます。
5. 性格を木に例えると
私は性格形成を木に例えると非常に理解しやすいと考えました。
まず、幼少期に形成された適応機制を根とします。
そこから幹が伸び、枝葉が広がります。枝葉は後天的に形成された様々な性格です。
そして人格ベクトル論は、木を成長させる太陽光に対応します。葉は太陽の方向へ伸びていきます。同じように、人もまた自らが目指す方向へ変化していくと考えられるからです。
ここからは、この比喩を用いて性格の特徴について考えてみます。
①根
私は適応機制を根にたとえました。
根は普段目に見えません。その全体像を正確に把握するには、実際に掘り起こしてみる必要があります。
しかし、幹や枝葉の様子からある程度推測することはできます。また、その木が育つ過程を見ていた人であれば、より正確に理解できるかもしれません。
同様に、人の性格の根底にある適応機制を本人が完全に理解することは容易ではありません。しかし、現在の性格や行動を観察することで、ある程度推測することは可能だと考えています。
②成長
十分な日光や栄養を得た木は、大きく成長し、多くの枝葉をつけます。
一方で、厳しい環境を生き抜いた木は、深く強い根を張ることがあります。
これを性格に当てはめると、似た環境で育った人々の性格に共通点が見られることや、過酷な経験をした人のメンタルが強固であることにも一定の説明が与えられるように思います。
③剪定
性格を変えることは、枝葉や幹を切ること、あるいは根を抜くことに対応します。
枝葉を切ることは比較的容易であり、幹を切ることはそれより難しい。そして根を抜くことはさらに困難であるといえます。同様に、表面的な行動や習慣を変えることは比較的容易だが、根本的な価値観や人格を変えることは容易ではありません。
また、木が長い年月をかけて成長し、幹が太く、根が深く張るほど形を変えにくくなるように、人の性格も長い時間をかけて形成されたものであるほど変化させることが難しくなると考えられる。
さらに、自分の木を変えることと他人の木を変えることには大きな違いがある。
木を切るためには、その木がどのような構造をしているかを理解しなければならない。しかし、自分の木と比べると他人の木の構造を正確に理解することははるかに難しい。また、自分の木と他人の木との構造の差異が顕著であればあるほど、その理解はさらに困難を極めます。
加えて、木同士の距離が離れていれば、そもそも切りに行くための労力が必要となります。これは人間関係においても同様といえます。相手を変え得るあらゆる考えや助言を持っていたとしても、相手との距離が遠ければ、その人に影響を与えること自体の難易度が高くなります。
このように考えると、「世界を変えたいなら、まず自分を変えよ」という言葉にも一定の納得がいきます。自分の木は常に目の前にあり、その構造も他人の木より理解しやすいといえるからです。
また、木を切るためには斧や鋸、チェーンソーなどの道具を用いることができます。場合によっては化学的な知見から一定数の木を同時に枯らすことも可能です。これを性格に当てはめるならば、性格の形成や変化を促す何らかの手段や知識が存在することを示唆しているようにも思えます。
では、それらの道具は現実には何に対応するのでしょうか。
木の比喩からは、まだ様々な考察を導き出せるように思います。ぜひ皆さんも考えてみて下さい。
6. 結論
本稿では、性格形成について私なりの考察を述べました。
私の考えでは、幼少期に形成された適応機制が土台となり、その上に適応機制と人格ベクトル論の双方が作用することで、その後の性格が形成されていきます。
また、性格を木に例えることで、性格形成や自己変容の過程を比較的分かりやすく説明できるのではないかと感じました。
もちろん、これはあくまで私個人の考察に過ぎません。しかし、性格について考える一つの視点として、皆さんにも興味を持っていただければ幸いです。
これまで同様長文となってしまいましたが、ここまでのご精読ありがとうございました。
追記
今回の部員日誌を執筆するにあたり、真田康志郎先輩に多大なご助言をいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

