平素よりお世話になっております。法学部二年の真田優誠です。皆さん、気持ちいいですか。
前回の部員日誌では、死について考えることで生きることについて考えました。人はいつか必ず死ぬ。だからこそ、その限られた時間の中で日々に意味を作ろうとするのだと思います
死なない人間なら、今日を頑張る理由も、今を大切にする理由もないかもしれません。でも終わりがあるからこそ、「今日はどんな一日だったか」「自分は何を感じたか」を考える。その積み重ねが人生なのだと思います。という風な文章を作りました。では、その「生きている実感」はどこから来るのでしょうか。
皆さんは生まれてきてよかったと思えていますか。生きているなと感じる瞬間がありますか。
綺麗事ではなく、毎日そう思えている人は意外と少ないのではないでしょうか。そもそも毎日もいるんでしょうか。
僕はたまに思います。そして、たまに思えません。
小学生の頃は、柔道がない日に石を蹴りながら母の実家へ向かい、もらった小さなCCレモンを飲みながら帰る時間が好きでした。
中学生の頃はコロナ禍で、外に出られない日々が続きました。そんな中で布団の温もりを感じながらゆっくり過ごす時間が好きでした。
高校では、一人で部屋にいる時間が好きでした。誰にも邪魔されず、自分のことだけを考えられる時間でした。
大学生になった今も、ふとした瞬間にいいなと思える時間があります。
振り返ると、僕の人生にはそういう小さな好きがたくさん隠れています。
昔の人はそういう感覚を趣や風情と呼びました。桜を見て綺麗だと思うことも、雨が好きな人も、夏の夕方の匂いを好きだと思うことも、人によって全く違います。だから幸せの形も人それぞれなのだと思います。
ただ、最近思うのは、そういう幸せを感じるためには苦痛を知らなければいけないということです。
以前観た『ひゃくえむ。』という映画の中で、
恐怖は不快ではない。安全は愉快ではない。
という言葉がありました。僕はこの言葉を聞いたとき、妙に納得しました。
僕たちは恐怖や苦痛を悪いものだと考えがちです。できることなら避けたいし、ない方がいいと思っています。
でも本当にそうでしょうか。
柔道をしていると、苦しいことなんて山ほどあります。追い込み、走り込み、打ち込み、筋トレ。練習が始まる前から嫌になる日もあります。試合前には緊張するし、負けることも怖いです。でも、その恐怖や苦痛があるからこそ、本気になれるのだと思います。
思考、研究、対策、改善、実行、この繰り返し
苦しいから頑張る。怖いから挑戦する。頭おかしいですね。
そう考えると、恐怖や苦痛は敵ではなく、自分を前に進ませるための存在なのかもしれません。
そして僕は時々、苦痛の中で「気持ちいい」と思うことがあります。
本当にそう思える時があります。
練習で限界近くまで追い込まれた時、息が上がって立つのもきつい時、試合で緊張している時。
もちろん楽ではありません。
でもその瞬間、「今、自分は本気だな」と思えることがあります。
それが気持ちいいのだと思います。
苦痛そのものが好きなのではありません。
自分が逃げずに向き合っていること、自分の限界に挑戦していること、自分が生きていることを強く実感できることが気持ちいいのだと思います。
ブルーハーツの『情熱の薔薇』には、
なるべく小さな幸せと
なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう
という歌詞があります。
僕はこの歌詞が大好きです。
人は大きな幸せばかりを追い求めてしまいます。でも人生のほとんどは、小さな幸せと小さな不幸せでできているのだと思います。
だから僕は、そのどちらも大切にしたいです。
不幸せを知らなければ幸せはわからない。苦痛を知らなければ気持ちよさはわからない。
前回書いたように、死を考えるから今日に意味を作ろうと思える。そして今日を本気で生きるからこそ、苦痛の中にも価値を見つけられるのだと思います。
だから僕は、なるべくたくさんの幸せと不幸せを集めながら生きていきたいと思います。
普通の人が見逃してしまうような小さな幸せにも気づける人間になりたい。そして、苦痛や恐怖から逃げるのではなく、その中にある意味も感じ取れる人間になりたい。
そして時には、苦痛の真ん中で、気持ちいい!!と笑える頭がおかしい人間でいたいです。
追記
今回の内容の一部は、以前書いた部員日誌「語らう」から引用しました。
そろそろ理工学部の彼との語らいの内容も部員日誌に登場させたいところですね。
本人がこの日誌を読んでいるかは知りませんが

