Blog

ブログ更新情報


2026

ニンゲンもアニマル

ご無沙汰しております。文学部4年の呉銅敏です。

4年の春学期もあっという間に終わってしまいました。今回の夏休みをどう過ごすかが、私の人生のターニングポイントになるかどうかを決めるという大事な時期であると言えるでしょう。

今日の本論に入る前に、余談ですが、先日暑中稽古の最後の練習が終わってからの帰り道、電車の中で隣のおばあさんに殴られました。

黒バスを見ていたのですが、五日間の疲労がたまりすぎて、気絶するかのように眠ってしまいました。その時は隣に誰もいなかったのです。そのまま意識を飛ばしていたわけですが、隣で誰かが肘で私を攻撃し、目を覚めました。そのおばあさんは「何回目なの、本当に」みたいな発言をしており、あ、僕がなんか寝たまま迷惑をかけてしまったのかと思いました。それですぐ、すみません、気づきませんでしたと言ったら、無視されたわけです。

電車から降りて、電車の中で起こったこの一連の事件についてすこしだけ考えてみました。もちろん、私が迷惑をかけたのであれば大変失礼してしまったのに違いません。しかし、私の立場からすると、急に殴られただけです。見知らぬ人を殴るなんて大人らしくなくないでしょうか。

人は意図してなくても、気づかないうちに迷惑をかけてしまう場合があります。それを我慢する人の怒りの気持ちもすごく分かります。私も普段は、我慢、我慢、我慢、、って感じです。しかし、我慢したからといって、それを爆発させて復讐するのは、その迷惑人の立場からすると災難だったのかもしれないなとふと気づきました。もっと大人らしい対処法は、我慢!じゃなくて正直に言うことなんだなと分かったのです。私がもし寝たままおばあさんになんらかの迷惑をかけたのであれば、直ちに私を起こして「やめてください」と言ったら、人を殴る必要はなかったでしょう。

我慢は美徳じゃない。それはいつか絶対爆発するから。

殴られて、色々学びがありました。なにか迷惑をかけてしまったことは本当に申し訳ないです、、そもそも迷惑をかけないように注意することも大事でしょう。

 

それでは本論です。

色々人生の悩みが多い最近ですが、私は人間も動物という当たり前な事実を忘れてはいけないということに気が付きました。

この考えは、松永さんの言葉「人間欝っぽくなった時、体を暖めて腹いっぱいになれば治るらしい。要は風呂入って飯食っとけばいいってこと」、から始まりました。一見私たちは、知能が高くて自律性の高い存在として自分を高評価しているだろうと思いますが、現代人の脳は原始のままですし、振り返れば一日って習慣通りに過ごして終わっているだけじゃないですか。自由意志なんて、正直犯罪者を処罰するために認めているだけだと思っております。私が今選んでいる単語一個一個も何等かの理由があるわけで、例えばよく使う単語だからとか、よく見聞きするとか、承認欲求のためにわざと衒学的な単語を使うとか、、ですね。

認知科学の授業で学んだことで、理屈は忘れてしまいましたが、唯一覚えているのは、「人間には何かをやろうという意志を自ら創出することはできないが、そういった動物的に創出された、意志のようにみえる行動を辞めるかどうかを選ぶことにおいては自由を持つ」とのことです。

自ら勉強しよう、とかトレーニングしようと思うことはできません。勉強したいとかトレーニングしようと思うようになるのは、自分の意志、というよりはそういった状況になったからでしょう。強くなりたいという欲求(それも複雑に構成されるでしょう)が生じて、体の調子も大丈夫で、時間的に余裕もある。しかし、一生強くなりたいという欲求ができなければトレーニングなんかするわけがない。なので自分をトレーニングさせるためには(トレーニングした方がいい、ということは意志というより頭で充分考えられるものなので)

①自分が「強くなりたい」と思うのはいつなのか。

 →それをパターン化して、欲求がない時にそれを繰り返す

②時間的な余裕を作る

③体の調子を整える

といった、「育成ゲーム」もしくは「動物飼育」のようなことで自分をコントロールできるのではないかと思ったのです。

一般的に「意志が強い」と言われる人というのは、

例えばトレーニングを頑張る人だと、強くなりたいという欲求が強いわけで、これは成長環境によって構成されると思います。どの人も「うまくなりたい」とか「強くなりたい」の欲求が湧き出るような分野がそれぞれあると思いますが、そうじゃない分野で頑張る時はこの「育成ゲーム」を頑張るべきであると考えられます。

社会問題で、どの時代でも話題になるのは「若者、○○ができなくなった!」問題でしょう。例えば、昔だと暴力性の高いゲームで若者の暴力性が高まった!とか、スマホの登場で若者の記憶力が弱くなったとか、若者言葉が言語を壊しているとか、ですね。最近最も話題になっているのは、やはりSNSとAIです。

7月13日にもAIに関する話題が天声人語に上がりました。AIという道具を人間が使ってしまうのは(便利すぎて)仕方ないが、それは人間の学習成果を低下させる。つまり、AIは何を聞いても何度でも答えてくれるが、「何を問うべきか」、「何に疑問を持つべきか」までは教えてくれないため、人間の思考を停止させてしまうとのことです。

→AIは便利である

→しかし、人間の思考力を失わせる

→AIを用いってもよろしい分野(統計、内容要約、自動化)などを除いてAI利用を最低限にすること

→なぜなら、時間効率より思考力向上の方が大事であるから

 一見、AIの発展は人間という頭の良い存在の進歩のように見えますが、使用者は結局アニマルです。いつも警戒を怠ってはならない。私を「育成」するためには、AI利用も賢明にしなければいけません。

また、同日にEUで子どものSNS利用の禁止規定が進みました。3歳未満はスマホの接触さえ禁止されるらしいです。やっとスマホも酒やたばこ、ひいては麻薬のように制限されはじめました。スマホやSNSの危険性がどれほど深刻なのか、この事例でも分かると思います。

人間をダメにする技術がどんどん進捗している中、このままでいいのかという疑問が湧いてきます。発展を辞めることはないでしょう。だからこそ、個々人は自分をよりよい人間に育成するために、良し悪しを常に考え、本能に舵を取られないように心掛けるべきだと思いました。


WRITER:呉銅敏
コメント
名前

内容