平素よりお世話になっております。経済学部二年の岩﨑です。皆様いかがお過ごしでしょうか。
私事ではございますが、この度無事に二年に進級することができました。新入生から敬語で話しかけられることに未だ少し違和感を覚えております。来年も日吉に残ることのないよう、より一層勉学に励んでまいります。
今年は私が20歳になる節目の年ということで、今回の部員日誌では私の今までの人生を少し振り返ってみようと思います。生まれは東京ですが、幼稚園、小学校は埼玉で通っていました。幼稚園で私は初めて人種差別(笑)を経験しました。髪が茶色い、顔が外人という理由でいつの間にか「英語人」というあだ名が付いていて、私は特に気にしてなかったのですが、今振り返ったら人種差別じゃね?と感じます。「そらまめ」とも呼ばれていたこともありました。幼稚園児が付けるあだ名は不思議ですね。
小学校は1-2年生は埼玉、3年生はオーストラリア、4-6年生は東京でした。小学校での思い出は、やはり花の種車窓投げ入れ遊びですね。通学路に生えている花(?)から黒い種を集めて、走行中の窓が開いている車の中または荷台にそれを投げ入れるというゲームをしていました。今考えるとやっていることはかなりやばいですが、特に咎められることもなかったのでそんなに反省はしていません。というか、またやりたいです。ちなみに、小学校であだ名は「英語人」から「外人」に進化しました。
中学時代は3年間オーストラリアにいました。この3年間でやった一番やばいことは、マンションの7階からゴミを投げ捨てていたことでしょう。当時、僕は朝にバナナをベッドで食べる習慣があり、バナナの皮を捨てるのが億劫だったので、自分の部屋の窓からポイ捨てする癖がありました。これに関しては、本当に反省しています。住民の方々、誠に申し訳ございませんでした。
高校時代は都立でした。かなり特殊な学校で、髪染めやピアス等は自由であり、男女比は1:4でした。男子校出身者にこの話をすると羨ましがられますが、私はみなさんが想像しているようなハーレム生活を送ることはできませんでした泣。高校では初めて部活というものに所属しました。本当は格闘技がやりたかったのですが、生憎私の高校では格闘系の部活がなかったため、水泳部に入部しました。水泳やりたい気持ち75%、不純な気持ち25%で入部したことは誰にもいえません。50m自由形を専門として3年の6月に引退するまで練習に励み、それなりの肉体と体力を手に入れることができました。そして、大学入試を経てやっと以前からやりたかった柔道を始めることができました。
と、こんな感じです。今年はどんな年になるのでしょう。楽しみです。
