平素よりお世話になっております。
薬学部4年の海部花です。
突然ながら、エッセイをどん。
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塩豆大福を初めて食べた。
はっきり言って、衝撃的に美味しかった。
塩豆大福を初めて知ったのがいつなのかはわからない。知るとか知らないとかいう以前にただ認識だけはしていたような気さえする。そしてそれは私だけじゃなくて、およその平成生まれが同じなんじゃないかとも思う。
ともかく、昨日私は、信濃町のニューデイズに塩豆大福を目当てに駆け込んだ。激しい胃の差し込みに見舞われ、このままだと胃が雑巾みたいに絞られちゃうんじゃないかと焦り始めていたその時、ふいに塩豆大福を食べたいと思った。食べたことはなかったけれど、なぜだろう、塩豆大福を食べたい、とはっきり思った。
いざ入店し、パンコーナーにもお菓子コーナーにも無くて諦めようとした時に、冷蔵コーナーにあるのを見つけた。大福って冷蔵保存だっけ、などと思いながら、なんとなく無いかもしれないと思っていたこともあって、嬉しい、早く食べたい、レジの最中にも足先が店の外に向いていた。
ぺりぺりとビニールを東西南北、各方角に剥がして開けるあの包装を期待していたけれど、NewDaysのそれはギザギザの切れ込みを開けるタイプのものだった。1%くらい残念だったけれど、そんなことに頓着するよりかは早く食べたい。
想像よりしっかり多めに纏われた白い粉、一番最初に唇に触れて、ああ、これから大福を食べるんだ、と強く実感する。
そして、、昔は邪魔に見えた、その豆の美味しさよ!
舌にはあんこの甘さ、歯には豆の食感。豆の皮がやや口に残るのもまた一興。それでもって、あとから豆の塩気が到来。
私はもっぱら、「あんこ×塩」味に弱い。
あまじょっぱい、とは違う。あまじょっぱといって想像するのはあのみたらし、それとは違う、あんこと塩のマリアージュが大変に好きだ。
要は、和菓子と塩昆布、みたいな話である。
最初に思いついたのは一体どこの誰なんだろう。きっと日本のどこかの偉人だろう。勝手に今は京都の人だと思っている。知らないけれど。
「塩豆大福を食べた。おいしかった。」
そう書けば済むものを、これほどの言葉数を費やすあたりからも察せられるかもしれないが、昔から物書きに憧れていた。書きかけの原稿が50本ほどある。そのうちの何本かは題名も決まっており、構想だってしっかりと練ってある。何作かはすでに完成している。お気に入りのセリフも、ある。
実はペンネームだって考えてある。いつか書店に並んだときに恥ずかしいので秘密だ。そんな機会などなくたってやっぱりかなり恥ずかしいので秘密にしようと思う。サインはまだない。
文章を書くということは、自分の分身が泳いでいくみたいで不思議だ。自分よりよっぽど雄弁な魚が、広大な海に流れ出ていくみたいな心許なさがある。そして時々、まるで鰹節みたいに、「私」というものを削ぐことでしか得られない言葉がある。その鰹節は忘れた頃にまた匂い、私を懐かしい気持ちにさせたり、絶望的に恥ずかしくもさせる。博打だ。
さて、先日、髪を30cmバッサリ切った。それはもう高枝バサミでも使ったのかっていうくらい、3年伸ばしたそれをハッキリバッサリ切った。
髪のベールを失って首の後ろが妙にスースーするのと、あまりにもシャンプーが簡単になったのと、その心許なさは文章を書く時のそれによく似ていた。
ヘアドネーション用に切ったその毛束を見た時の、妙な分身感、小気味悪さというか、もう私のもとからは離れ終わっている、have done、という感じ、これも文章を書く時のそれによく似ていた。
ちまちま切っていけば、ゴミ箱を多少なりと逼迫させる体積さえ持ち得ないそれが、こうやってまとまった形を持つことで、ウィッグとなり、病気の子供たちの大きな問題をひとつ確実に解決するということに妙な高揚感があった。かつてその悩みを抱いていた友人に、ついにやったよ、と伝えたい。伝えられたら何て言っただろうか。
父が、その毛を俺に植えてくれ!と言ったのが個人的にはとても面白かったけれど、これは患児のための毛束だ、無視して郵送してしまった。親不孝、ではないと思う。
同期に、入部の頃くらい短くなったね、懐かしいね、と言われた。
もう3年も前の話だ。
そんな現役生活もあと一ヶ月。どうかよろしく!!
おわり

