失礼致します。甚だ僭越ながら自己紹介させて頂きます。私本年度慶應義塾體育会柔道部並びに、慶應義塾大学文学部1年の保坂龍美(ほさかたつみ)と申します。以後宜しくお願い致します。

出身は神奈川県横浜市で、階級は66kg級です。出身校は横浜高等学校で、野球の名門として有名ですが私も野球観戦がそれなりに好きなので私が高校一年生の頃の第105回全国高校野球選手権神奈川大会の決勝で慶應義塾高校に敗北してしまったことは昨日のことのように覚えております。

この日誌が初めての投稿となるので、私の生い立ちについて書かせていただきます。

西暦2007年9月15日、神奈川県の大和市にある病院で生まれました。生まれた病院が大和市にあったので、横浜市に誇りを持っている母親からは今でも「お前の出身地は横浜市ではない。」と言われてしまいます。生後は横浜のチベットとも呼ばれている横浜市瀬谷区で自然と触れ合いながら育ちました。

私が柔道を始めたのは小学校3年生の頃でした。当時の私は野球アニメの「メジャー」に影響されて地元のクラブチームに見学に行き野球を始めるつもりでいたのですが、見学に行った際、母から「保護者の仕事が多いから嫌だ」と言われてしまい野球を始めることはできませんでした。そんな母は元々子供には武道を習わせたいと考えていて、剣道と柔道で迷っていたらしいです。当時の私は小学生ですので剣を振り回しているのが異様にカッコよく見えたのでどちらかと言えば剣道を習いたいと思っていたのですが、またしても母が「剣道は防具が高いから嫌だ」と言い出したので地元の柔道会で柔道を始めることにしました。母のおかげで今も柔道を続けることができていますので感謝していますが、少し酷くないかと今でも思っています。柔道を始めた当初はやらされている感覚が強くモチベーションが皆無だったのですが、柔道の練習を通して柔道の面白さに気が付き練習に熱が入るようになっていきました。

また、練習を通して小学校高学年の頃には同学年の中では運動神経が良い部類に入った私は、横浜市の小学生が必ず経験する横浜市の運動大会にて学校代表のリレー選手に選ばれました。当日は緊張が頂点に達していたのもあり、一位で回ってきたバトンを落として失格になってしまいました。これは同級生から期待されていたこともあり、今までの人生の中でも最大級の失敗だと言えます。(バトンを落とした瞬間を卒業アルバムに入れた当時の担任を今でもすこしだけ恨んでいます。)

中学生になった私は柔道部のある地元の中学校に通い柔道を続けていました。入学当初は新型コロナウイルスの影響で試合も練習も学校生活さえも妨げられてしまい、柔道と距離を置かざるを得ない状況でした。また、小学校5年生の頃に165cmあったこともあり小学校の頃は体格で勝てていたのですが中学生になると自慢の身長は2cmしか伸びず柔道でも伸び悩んでしまい、思うような結果を出すことができなかったです。

このことから中学校で柔道はやめようと考えていたのですが、母校である横浜高校に練習に行った際にその考えは変わりました。それまで体格の勝る相手にしか勝つことのできない面白みのない柔道をしていたのですが、母校である横浜高校に見学に行った際、T先生に組み手など様々なことを教えていただき、辞めようとしていた柔道を久しぶりに面白いと思えたのを覚えております。そして、母に高校でも柔道を続けるのなら新しいスマートフォンを買い与えてやるという提案も受け、誘惑に弱い私は高校でも柔道を続けることにしました。

高校では階級を落として軽量級らしい柔道ができるように練習により一層力を入れて励みました。試合で満足のいく結果は残せなかったですが、高校を通して柔道の面白さを知れることができ、充実した高校生活であったと思っています。

私が慶應義塾大学を志したのは高校3年生の6月ごろのことでした。高校時代の先生が数年前に慶應義塾高校の教員をしていたらしく横浜高校の中では成績が良かった私に提案してくれました。横浜高校を卒業して大学に行くのかどうかも考えていなっかた私そこで初めて将来のことについて考え始めました。そこで思ったことは、AIが発展して人間にしかできない仕事が年々減少していく昨今で今のまま生きていて満足のいく暮らしが送れる保証はないという漠然とした不安でした。その不安を抱えた状態で関東大会の際に監督とお話をさせていただいた時に慶應義塾大学に入学できれば将来の選択肢が大きく広がると言う趣旨の説明をしていただき7月ごろから本格的に受験勉強を始めることにしました。

横浜高校内での成績はよかったですが受験勉強を始めた当初は模試だと偏差値が50を超えることは滅多になく、どう勉強を始めれば良いのかすらもわからない状態で、慶應のパンフレットを渡してくれた大志郎先輩は「こいつは受からないだろう」と思っていたらしいです。悲しいですがこれは当然の反応で、学校の先生からも「真面目に勉強して日東駒専に受かるかどうか」といわれて慶應義塾大学を志望しているのが冗談だと思われていました。

ですが、初めから受かる自信しかなかった私は柔道部の受験生対応の力を借りながら毎日勉強をしてなんとか合格することができました。

入部してから1ヶ月ほど経ち、受験勉強期間のブランクを取り戻しつつあり、部活にも大学生活にも徐々に慣れてきております。ところで、これまでの文章では母がやや否定的に映ってしまったかもしれませんが、母がいなければ大学に進学することもなかったので、とても感謝しております。まだまだ未熟ではございますが、今後はより一層精進を重ね、実績を積み重ねていけるよう努力して参ります。今後ともご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い致します。