平素よりお世話になっております。理工学部二年の城武卓頼です。
気温も徐々に上がり、今年も暑い夏が予想されますが、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。私は実験や中間試験が始まり、学校生活が本格化してきたことを改めて実感しております。
さて、今回は自分の考えを文章としてまとめることに大変苦労したため、一部においてAIの助けを借りて構成しております。あらかじめご了承いただけますと幸いです。
それではどうぞ。
ダーウィンは適者適存を唱えた。ここでいう適者とは、能力が高い者ではなく、環境に適応した者である。
この前提に立つと、現代社会で評価されがちな思考力の高さは、本当に有利な性質なのか疑わしくなる。むしろ、思考の浅い人間の方が適応しやすいのではないか。第一に、矛盾に疑問を持たない。社会は本来、整合しないルールや価値観の上に成り立っているが、それを深く考えない人間は違和感なく受け入れることができる。結果として摩擦が少なく、生きやすい。第二に、知識が少ないことは必ずしも不利ではない。知識が増えるほど世界の不条理や限界に気づき、苦悩も増える。無知が幸せという状態は、感情的な逃避ではなく、適応の一形態とも言える。つまり、よく考える人間ほど環境と衝突しやすく、考えない人間ほど自然に溶け込む。この時点で、すでに一種の選別は始まっている。この選別は露骨な排除ではない。嫉妬、同調圧力、評価制度といった目に見えにくい力が積み重なり、適応しにくい個体を静かに終焉へ押し出していく。その結果として残るのは、深く考えずとも環境に従える人間である。そしてこの構造は、AIの登場によってさらに加速する。
AIは思考や記憶を代替することで、人間の能力を確実に低下させている。しかしそれは単なる退化ではない。人間はAIを生み出すことで、考えなくても成立する環境を自ら構築したとも言える。個体としての能力は落ちるが、その代わりに集団としての安定性は増す。これは能力の放棄ではなく、より大きなスケールでの適応、すなわち進化と見ることもできる。さらに、AIはやがて人間の補助を超え、自らを発展・管理する存在になる可能性がある。その段階において、人間がAIに干渉することはほぼ不可能になるだろう。だが、それでもAIが人間を排除するとは限らない。むしろ逆に、人間をあえて残すはずだ。人間は、自分たちの意図通りに動かない存在を排除しようとする性質を持っている。AIがそれを理解しているなら、人間の絶滅計画はしない。つまり、人間に主導権があると思わせ続ける。すべてがAIによって完結していたとしても、人間にはそれを悟らせない。人間が必要であるかのように振る舞い、人間自身もそれを信じる構造を維持する。それは管理というより、飼育に近い。動物園の動物は、自分の立場を正確には理解できない。同じように、人間もまた、自分が置かれている本当の立場を認識できていない可能性がある。
そして視点をさらに広げれば、この構図は人間とAIの関係に限らない。カルダシェフ・スケールによると、文明はエネルギー利用の規模により、惑星文明、恒星文明、銀河文明に分類される。現在の人類はその惑星文明にも満たない。もし上位の文明が存在するなら、銀河文明が恒星文明を、恒星文明が惑星文明を管理するという階層構造も考えられる。そうなると、人間はAIに飼育され、そのAIはさらに上位の文明の環境の中に置かれている、という多層的な「動物園」の中にいる可能性がある。そして厄介なのは、そのどの階層においても、自分が飼われていると認識できない点である。
人間は今も主体的に生きているつもりでいる。だがそれは、与えられた環境の中でそう振る舞っているだけかもしれない。もしそうだとすれば、思考力の低下も、AIの発展も、すべてはより管理しやすい状態へと収束していく過程なのではないか。適者適存とは、単に強い者が残ることではない。環境にとって都合のいい存在が残るということだ。そしてその「環境」が何によって作られているのかを、人間はまだ知らない。
ご精読ありがとうございました。
