平素よりお世話になっております。
薬学部3年の海部花です。
春めいた日がちらほら散見されるようになりましたね。
私は春休みを、冬めいた春休みと春めいた春休みに二分しておりますが、とうとう後者に差し掛かっているように思います。
さて私はこういう長期休暇に、詩や小説などを普段よりゆっくり読むのが実は至福だったりします。
私は宮沢賢治がだいぶ好きです。
小学生の頃に「やまなし」という作品を初めて読んだのが衝撃的で(教科書で皆さんも見たことがあるのではないでしょうか)、この作品が印刷されたマスキングテープを持っているほど好きです。クラムボンはかぷかぷわらったよ。
そして宮沢賢治といえば、言わずとも知れた「雨ニモマケズ」という作品、先日久しぶりにちゃんと内容を読みました。
今読んでみると、かなり考えさせられるものでした。無欲で、驕りのない筆致でありつつも、ひたむきに強いです。まさに雨にも負けず、です。
私は常に「謙虚でありたい」と思っていましたが、むしろだいぶ傲慢な人間だったなというふうに思いました。そもそも謙虚でいようなどと考える時点で謙虚じゃなかったかもしれません。
ではなぜ謙虚でありたいか考えると、強く優しい人間になりたいからではないかという結論に至りました。しかし、強く優しい人間であるこということと、打ちのめされないように身を翻し微笑み続けることは別です。
後者は私がよくやるやつです。
でもそれでは強いふり、優しいふりです。
勝ちが強いわけでもなく、親切が優しいわけでもないです。
これは部員を見ていて気づきました。
強さには黙る強さと口を開く強さとがあり、優しさには器用な優しさと、不器用だが真っ直ぐな優しさがあると思います。
私はいずれの場合も、前者ばかりを選び、後者のようなものはあまり見ずに生きてきてしまったのかもしれません。なんとなく自覚があります。ある意味、臆病です。反省。
かと言って、雨ニモマケズを読んで、「サウイフモノニワタシハナリタイ」とはいまだに思えません。美味しいものも食べたいし、死にそうな人がいたら「いかないで」と泣きたいし、デクノボーとは言われたくないです。
大きな夢を語るならば、ノーベル賞を取りたいくらいです。研究が認められたり成果を出したりしたい。欲があります。
しかしこれが今の自分なのだ、という気持ちで、ひとまず受け止めています。
これから変わっていくでしょうか。変わらないでしょうか。
少なくとも、高校生の頃の自分はこんなふうには考えなかったと思います。強く正しいことが正義だとかいうでしょう。自分はデクノボーになれると迷いもなく思っていたでしょう。
でも、今は違います。
数年後にこの文章をみたら恥ずかしくなるかもしれませんが、これが今の私にとって正直な所感です。
柔道部をはじめ、世の中には私にはない強さ、優しさ、謙虚さを持った人がたくさんいます。日々それを切に感じます。
彼ら、彼女らから、これからも学びたいと思いました。
おわり
