平素よりお世話になっております。理工学部1年の城武卓頼です。いよいよ89年ぶりの平方数の年が終わろうとしておりますが、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
私は現在、エジプトの砂漠の中を走る車の後部座席にて、この部員日誌を執筆しております。

本来であれば、前回の部員日誌において見受けられた証明上の重大な誤りについて指摘し、そこから議論を広げ、「一見もっともらしく聞こえるが本質を欠いた主張」、すなわち詭弁について論じる予定でした。しかし現在、私はエジプトに滞在しております。せっかくこの地に身を置いているのであれば、記憶が鮮明な今だからこそ書けること、すなわち現地で実際に見聞きしたことについて記すのも一興ではないかと考え、今回はその内容を綴ることにしました。

現在も旅の途中ではありますが、これまでの行程と経験を簡単に記していきます。

初日は、日本時間で0時頃に日本を出発し、約11時間半のフライトでドバイへ向かいました。ドバイで数時間過ごした後、さらに約4時間のフライトを経てカイロに到着しました。空港で叔父と従兄弟と合流し、タクシーでホテルへ向かい、食事を済ませて就寝しました。

2日目は、朝からピラミッドとスフィンクスを訪れ、その後、市場や街中を散策しました。昼食をカフェでとり、午後は複数のモスクを見て回りました。夜はケバブとコフタを食べ、ホテルに戻りました。

3日目は、大エジプト博物館を訪れた後、空港へ向かい、国内線でアスワンへ移動しました。到着後は宿に荷物を置き、周辺の市場で夕食を調達し、休息をとりました。

4日目は早朝に出発し、約3時間かけてアブ・シンベル神殿を訪れました。観光後に宿へ戻り、現在は別の宿泊地へ移動中です。

ここからは、今回の旅を通して感じたことや考察を述べていきます。

まず街の様子についてです。率直に述べると、カイロやアスワンの街並みは、日本のどの都市と比較しても制度的・外形的には治安が悪く見えます。車のテールランプが壊れたまま走行している車が多く、信号や標識はほとんど存在せず、車と歩行者が同じ空間を共有しています。常にクラクションが鳴り響き、白線もなく、交通は一見すると完全に無秩序です。

しかし、そのような環境でありながら、私自身は事故が頻発しているようには感じませんでした。その理由を考えると、日本との交通文化の違いが浮かび上がります。日本ではルールや信号に依存した秩序が成立している一方で、エジプトでは常に周囲を警戒し合う「相互注意」による秩序が形成されているように感じました。また、高齢者の運転が少なく、交通量が多いために自然と速度が抑えられている点も、事故を抑制している要因だと考えられます。

街中では至るところで人々がタバコを吸っており、砂埃が常に舞っています。夜になっても住宅の灯りは少なく、その代わりに街灯や車のライトが街を照らしています。さらに、野良犬や野良猫が非常に多く、日本とは全く異なる都市の風景が広がっています。

次に、日本と大きく異なる文化的な点について述べます。エジプトでは、ほぼすべての場面において値段交渉とチップが前提となっています。一方で、人々は非常にフレンドリーで、小さな子供であっても簡単な英語を話すことができます。市場や街中では頻繁に客引きや押し売りに遭遇し、タクシーやトゥクトゥクの勧誘も絶えませんでした。写真を撮るとチップを要求されることも多く、時間に対する感覚の緩さや広告詐欺の多さなど、日本ではあまり見られない文化が数多く存在します。

最後に観光地について簡単に触れます。ピラミッドは想像を遥かに超える規模であり、対照的にスフィンクスは思っていたより小さく感じられました。モスクは構造的にも大胆で、日本のように災害を前提とした社会では建設が難しい建築だと感じました。また、大エジプト博物館ではツタンカーメン王の遺留品をはじめとする多くの古代遺物が展示されており、日本語の解説も数多く見られました。この点からも、日本とエジプトの関係の深さを強く実感しました。

長文となってしまいましたが、今回の旅で得た経験はまだ語り尽くせていません。このような貴重な体験を得られたこと、そして今後さらに多くの経験ができるであろう環境に感謝しつつ、今回の部員日誌を締めさせていただきます。
ご精読、誠にありがとうございました。