部員たちの日誌を半年ぶりくらいにしっかり読んだり、読み返してみたのですが、素敵な文章が溢れていました。ちょっとだけ先輩目線で物を言わせていただきますと、後輩がどんどん大人になっているのだと感心してしまいました。体ばかり大きくなっているのではなく、心も着実に成長しているんだなぁと感慨深いです。
部員の皆は自分が成長したと感じているのかな。
さて、もうすぐ引退ということで、少し本音を交えた話をさせてください。実は、私にとって柔道部生活の密かな悩みの1つが、この「部員日誌」でした。4年間の私の日誌は表面的で中身がないのです。しかし、書くことない!とかめんどくさい!と思っているわけではなく、理由があります。
日常で思っていることや発見、喜怒哀楽の感情の変化はたくさんありますが、この私的で利己的な思いをここに綴ったとしても果たして皆さんに対して有意義な内容となっているのかいつも悩んでしまうのです。私の考え方は幼稚で凡庸なもので、少し考えれば皆が到達してしまう思考をお見せするのはいかがなものかと悩み書き直し続け、結局表面的な日常を上げてしまいます。そんなこんなで私の世に発信していない部員日誌は20作を超えました。
しかし上記は半分建前も混ざっており、日誌用の文章です。
10割本音はその時の想いや感情に身を任せ書いたものを出したとして、あとで自分が恥ずかしくなったり、後悔したりすることを恐れているというところにあります。自身の気持ちや日常、様々な事情を語るという決意をし、投稿しているYouTuberでさえも本名で活動していないのに、そこら辺でアホ面をして歩いている私が気がついたら本名、大学名、所属、気持ちまでも全てが露わになっているのです。(入部するまで部員日誌の存在を知りませんでした)部員日誌という小さな空間ではありますが全てを晒した上での月に1回の連続的な第三者への発信は、自分では制御できないイメージの広がりの始まりであり、自分にとってリスキーで恐ろしく、恥ずかしいものです。
また、自分の考えを周りに伝えることは苦手ではないですが得意でものなく、好きならとっくにブログなりXなりをやっていると思いますし、自分の発言でお金を稼いでいると思います。生い立ち上、周りの目を気にする私にとって正直あまり貴重な機会とも思っておりませんでした。現代の自己表現というのは、常にアーカイブされるリスクや第三者に切り取られる恐れと隣り合わせです。好きでも得意でもないことを「意義があるから、伝統だから」と言われても、そこで公開するのが他人ではなく自分自身の事象である以上、責任感の強い私にとってこの重みは軽いものではありません。私にメリットがない場所で、あえて批判されたり嘲笑われたり特定されたりする可能性がある過去や考えを綴った文章を出すリスクは犯せないと言う、傷つかないための防衛が巡り続けており、今に至ります。私はコンプライアンスが生み出したモンスターなのかもしれません。
とこんな考えから、私は自分の意見を素性を明かし発信できる貴重な場所である部員日誌に4年間自分の本当の想いを載せられておりません。この文章もチャッピーくん(チャットGPT)に確認してから上げてしまいました。こんなに自分の気持ちを素直に書く部員日誌は初めてで少々緊張しています。成長できておらず情けないです。それと同時に世の中に自分の意見を発信している方々は本当にすごいと実感しました。
しかしながら、知人の日誌を読むのは好きなので、後世にも続けていってほしいと思う自分のわがままには困ったものです。