最近、六月とは思えないほどの猛暑が続いております。かげろうが立ち上る道を歩いていると、日本に最初に定着した人って、きっと春とか秋に騙され、住処を作り、この地獄のような夏に驚かされただろうなと思うぐらいです。七月、八月、どんどんと熱くなっていくだろうと思われますので、皆さん、熱中症にならないよう、対策を講じられたらいかがでしょうか。僕のおおすすめはアイスボックスです。その中でもアイスボックス+のむヨーグルトは、僕が数えられないほど試してみた組み合わせの中で断然一位に輝いております。ぜひともお飲みになってみてください。

 また話は戻りますが、炭のように燃えている太陽の下で、熱い汗を流していたら、ついサウナのことが思いつきました。僕は綱島にある湯けむりの庄という銭湯に頻繁に通っているのですが、露天風呂のところにサウナの部屋があるのです。柔道部員にとってサウナとは、減量のための汗抜き部屋、それ以上でもそれ以下でもないだろうと思いますが、僕にとってサウナは、人生においてかなり大きな意味を持っております。

 僕は、じっくり考えたい事がある時は、いつも湯けむりの庄に行きます。もう部員日誌には何回も言及しましたが、僕は携帯のない環境が本当に好きで、銭湯では誰しもが携帯を持たずに、ただ湯煙が漂っている虚空を、ひたすら眺めている。その同士たちに囲まれて僕も虚空の中に色んなものを描いていく時間を大切にしているわけです。この銭湯修行について、少しでも興味を持ってくださった方がいらっしゃるのでしょうか。

  話が急に分からなくなるかもしれませんが、僕は最近色んな修行を行っております。修行とは自分を知り、その自分をよりよく制御するための道のりだと思います。修行はどうして必要でしょうか。それは人間の欠陥のためだと思います。欠陥が少ない人もいれば、手が出せないほど欠陥だらけの人もいるのですが、数に関係なく欠陥は、小さい棘のように刺さっては徐々に腐っていくでしょう。人間はどうにかこの棘を抜こうとするわけですが、修行を行わない人は、違法手術である防衛機制で解決しようとするのです。防衛機制がいつも悪いとは言えないとしても、完全な解決法ではないため、必ず副作用が残ってしまいます。防衛機制には、否定、投影、退行、抑圧、逃避、反動形成、合理化、代償、同一視、昇華、補償があります。興味がある方は、この防衛機制について調べてみてください。本当に、自分の行動を反省するようになると思います。

 さて、否定的な感情に対して、どうすれば防衛機制ではなく、他の方法で自分を制御していくのか。それは仏教の教えに出ていると思いました。僕もまだ仏教に詳しくはないのですが、「空(くう)」という概念はすごく印象深いです。一見西洋哲学の「イデア」に似ているような気もしますが、「空」を含め、仏教ではより、彼岸への修行に集中しているようです。それが、僕には、西洋哲学のような漠然とした提唱よりも、より実用的な学問のように感じられました。

 仏教における修行法とは、皆さんもご存知の通り、冥想です。冥想も本当に数多くの方法があるのですが、僕は「サマタ冥想」を行っております。もちろん、まだ初心の段階であり、全然三昧とか関係ない段階ではございますが、精進していきたいと思います。しかし、仏教とか修行にあまり慣れていない方は、修行の良さを理解するのがすごく難しいだろうと思います。

 そこで僕がおすすめするのが、サウナです。無論、ずっとサウナで修行するのはどうかなとは思いますけれども、修行の入り口として僕も愛用しております。サウナ修行(僕が作ったものです笑)の順序はこうなります。

1.サウナに入る

まず、サウナに入ったら、「あ、熱いな」と思うでしょう。もちろん、入ってから3分程度は暖かいくらいの感覚で終わるかもしれません。席に座って目を閉じ、まずはすべての感覚に集中してみてください。熱さとか、熱風とか、音(静けさ)、汗の流れなど。

2.熱を感じる(苦の始まり)

どんどん、熱さが強くなっているような気がします。砂漠の真ん中におかれてしまったような感覚でしょう。ここで皆さんの心境の変化を観察してみてください。苦しいことが目の前に現れた時、あなたはまずどのような反応を見せるでしょうか。

3.反応観察(苦の仮解決)

熱さという苦痛に、ほとんどの人は逃避や合理化などを選びます(もちろん修行だと思って入ってきた者に限る)。こんなことやったって意味ないよねとかこのままだと死ぬかもしれないとか今度にしようとか、甘ったるい考えに陥ってしまうケースがもっとも多いです。

次に多いのが、競争です。これは共感される方もいらっしゃると思いますが、サウナとは戦場でもあります。男はサウナで無言の戦いをやっていると思います。絶対あの人が出るまでは出ない。この競争のおかげでもっと耐えれるようになったりします。

4.結論へ(苦との向き合い)

しかし、いくら競争心で耐えようとしても、限界が来るものです。競争もへったくれも要らない、早く出てしまいたいという欲求が怖いほど溢れてきます。この段階で、今までの解決策がすべて無意味なものであったということに気づく必要があります。結局この苦しみから抜け出すためには、自分自身に集中するほか、方法はございません。自分のためになるような修行、苦しみを直観し、堂々と向き合い、無念の状態を作るために努力して苦しみを半減させる。

5.終わり

僕がサウナ修行を勧奨する理由は、このようにすべてが直観的であるという点にあります。苦しみの前で、自分がどれだけずるくて甘い態度であったのかを知ることができ、健康的な向き合い方を自然と身に付け、そしてサウナ後の牛乳で補償する。この一連の流れは、まるで人生の走馬灯のようなものでしょう。

僕もまた心が乱れてきたら、サウナに行こうと思います。皆さんもぜひ試してみてください。

おわり