平素よりお世話になっております。理工学部1年の城武卓頼です。寒暖差の激しいご時世ですが、皆様におかれましては如何お過ごしでしょうか。

本日は最近私が考えている事項について執筆致します。

私は中学、高校生時代、試験勉強や部活に追われ、他のことを感ある余裕はありませんでした。しかし、大学に入り、暫くすると暇な時間や、一人で思案を巡らすことが増えました。大学生になってから様々なことを考えましたが、今回はそのうちの一つについて語らせていただきます。

皆さんは、本当の自分とはどのような人間だと思いますか。それはどんなときの自分でしょう。実家にいるとき、親友といるとき、それとも一人でいるときでしょうか。多くの人は、職場・学校での自分、友人といる自分、家族の前での自分、一人でいる自分がそれぞれ異なると感じているはずです。では、その中でどれが本当の自分なのでしょうか。多くの人は一人でいるときや家族といるときを本当の自分だと考えます。理由として、一番疲れないから、他人に見せられない部分だからなどが挙げられるでしょう。しかし、それは本当に本当の自分なのでしょうか。人間には裏表があるとよく言われます。たとえば、表では優しいのに裏で悪口を言う人や、嫌がるように見えて実は嬉しがっている人など。私たちはこうした人を見て、「あの人の本当の姿は裏の顔だ」と思いがちです。つまり、人は他人に見せない姿こそが本性だと考える傾向があります。では、なぜそう思うのでしょう。私の考えでは、それは私たち自身が他人に本当の自分を見せていないからです。人は完全な客観性を持つことができません。自分がしていることは他人もしていると無意識に考えがちです。だからこそ、他人の裏の姿を見たとき、「自分もそうだから、きっとあれが本当なんだ」と感じてしまうのです。

少し視点を変えてみましょう。あなたはいつから今のような性格になりましたか。物心ついたころと今の自分を比べてみてください。おそらく多くの人は、出会いや学校生活、受験など、環境の変化によって少しずつ変わってきたのではないでしょうか。では、物心ついたころの自分こそが本当の自分なのでしょうか。しかし、その頃の性格も、親や先生、周囲の大人たちの影響を受けて形づくられたものであるはずです。つまり、どの時点の自分も環境によって作られているということです。

私は、本当の自分というものは存在しないと考えます。人間の多面性を仮面にたとえると分かりやすいでしょう。人は本来、のっぺらぼうのような存在です。しかし、環境によって新しい仮面を作り、時に作り替え、時に捨てながら生きていきます。よく使う仮面もあれば、特定の人にしか見せない仮面もある。こうした仮面の積み重ねこそがあなたという存在なのです。人がまず容姿を重視するのは、容姿以外のほとんどが環境によって変わるからかもしれません。性格は遺伝ではなく、環境の影響を強く受けると私は感じます。親と性格が似ることがあるのは、似たいと感じているから。兄弟姉妹の性格が似ているのは、同じ環境で育ったから。また、あの人は内部生っぽい、男子校出身っぽいと感じるのも、環境が人を形づくっている証拠の一つでしょう。結局のところ、本当の自分とは固定された一つの姿ではなく、環境や人間関係の中で絶えず変化し続ける仮面の総体だと私は思います。そのどれもがあなたであり、どれも偽物の自分ではないのです。

色々執筆いたしましたが、今回はこの辺りで締めとさせていただきます。