失礼致します。甚だ僭越ながら自己紹介させていただきます。私、本年度慶應義塾體育會柔道部にマネージャーとして入部させて頂きました、法学部法律学科1年の三好桜子(みよしさくらこ)と申します。以後宜しくお願い致します。

出身校は慶應義塾女子高等学校で、東京都出身です。高校時代から通学時間は半分になりましたが、私は行けるという出処不明の自信が詰め込んでしまった一限に、早くも苦しめられています。秋学期からは、一限は入れるな という通説に素直に従いたい所存です。日吉の好きなところは、キャンパスが駅近なところと、何よりひようらの充実度です。歩くたびに新しいお店の発見があり、2年間では通い尽くせないような気がしてしまいます。ぜひ、皆さん御用達の美味しいご飯屋さんをご教授いただけますと幸いです。

 

初めての投稿ということで私の経歴について書かせていただきます。私は父親の転勤先であったドイツのフランクフルトで誕生しました。極めて日本顔でグローバルの欠片もない風貌のため、初対面でこれを言うと良い反応を得られる他、未だに嘘だと疑っている友人が多数います。2歳の時点で日本に戻り、私自身も当時の記憶がないため半ば嘘のプロフィールであることは間違いありません。帰国以降、私は至って普通の日本家庭ですくすくと育ちました。当時日本中の幼女が勤しんだたまごっちや3DSが禁止された家庭だったこともあり、趣味は図書館通いと、僭越ながら賢い子供であったように感じます。将来なりたい夢にパティシエやお花屋さんをあげる年齢では作家になりたいと明言し、分別のつく年になってからは小説の編集者になることを夢見ていました。

小さな頃からバレエ、ピアノ、体操、水泳などさまざまな習いごとを経験させてもらいましたが、その中でも習字だけは幼稚園の頃から今でも続けています。左利きであった父が幼少期に右利きに矯正していたことから、同じく左利きであった私も、綺麗な字を書く目的ではなく右手で文字を書けるようになるために始めました。最初は右手でろくにまっすぐな線も書けず、大変むず痒かったのを覚えています。しかし、辛抱強く続けていくうちに鉛筆が左手より右手に馴染むようになっていき、次第に毛筆で綺麗な文字を書く楽しさに目覚めました。今日まで続けられているのは、私が辞めたいと泣いた日にも、続けたら絶対に糧になるよと諭してくれた両親のおかげです。

一方、私は幼少期から運動が大変不得意で、球技はもちろん、他人に迷惑をかけてしまうというプレッシャーから団体競技が大の苦手でした。よって、慶應義塾中等部に入学した私は、個人競技であり袴の格好良さに惹かれた弓術部に入部しました。道場の入退場時に礼をする、正座をして黙想する、など柔道部につながる点が多くあり、当時を懐かしく思うことがあります。また書道部にも入部し、3年時にはキャプテンを務めました。全く意図していませんでしたが、現在柔道部に入部したことも併せますと、奇遇にも和の道に惹かれた人生であることに驚かされます。異国の地で生まれても日本人としての誇りを持って生きるようにと名付けられた桜子という名前を、身をもって体現できているように感じて嬉しく思います。

慶應義塾女子高等学校に進学した際は、心機一転、ゴルフ部に入部しました。そこでは中学時とまた違った人間関係を得られ、その友人たちと大学でも引き続き仲良くさせていただいております。高校までは全ての出来事を共有し同じエピソードで笑い転げていたのが、大学に入って一気に世界が広がり、話しても伝わらない人名が増えたことを寂しく思う反面、集まると多種多様な大学生活の話を聞けることがとても楽しいです。

 

ここで、経験者の加藤すみれはまだしも三好はなぜ柔道部へ?と、出会う全ての人に投げかけられる疑問に、この機会を頂戴し答えさせていただきたく思います。遡るときっかけは中学時代の記憶にあります。弓術部の練習に向かう際同じ建物に柔道場があり、窓を覗くとそこでいつも白い道着を着た部員たちが練習に励んでいました。そこに当時クラスメイトだった加藤すみれの姿もあり、女の子なのにすごいなと感心して眺めていました。彼女が勝ったという試合動画を見せてもらうと、普段の陽気な姿からは想像もつかない気迫に満ちた真剣な姿がそこにあり、技などは何もわからないながら大変感動したのを覚えています。

中高と過ごし、友人たちが大学で何をやるか明確に決めていく中、勉強以外の軸がなかった私を加藤すみれが柔道部へ誘ってくれました。対面新歓初日、指定された教室で時間になっても先輩方は現れず、私、加藤すみれ、友人2人と、ラ・サールから来たという理工学部の男の子(後の城武)だけが教室にポツンと座って待っている、不思議な時間が発生していたことを覚えています。最近明らかになりましたが、城武によると加藤すみれはこの時、この子達はマネージャー志望、私はプレイヤー志望 とはっきり宣言していたそうで、初対面なのに冗談は言わないはずだ と城武は信じていたみたいです。数分経つと道着を着た大きな方達がワラワラと現れ、座っている私たちを見て、あれここ柔道部で合ってる? と一旦教室を出て行かれてしまうおかしなムーブがあったのが、柔道部の最初の記憶です。そうしてこの日、花さんから丁寧にマネージャー業務というものの説明を受け、最初は冗談半分だった入部をここで現実的に考えるようになりました。

早速次の日、柔道場へ見学に伺いました。そこでは絶えず身体を打ち付ける音が響き、座っているだけで床の振動が伝わってくるあまりの異空間さに、慣れていない私は圧倒されてしまいました。それでも、優しく話しかけてくださった美緒さん芽吹さん、入道さんに心がほぐれ、真剣に汗を流す部員の方々の直向きな姿を拝見し、この方達の仲間になりたいと強く感じました。初めての大学、全てが自分の選択に委ねられる毎日に不安でいっぱいの中、唯一と言っていいほど即決したのは、初めて見学に伺って即日決意した柔道部への入部です。あの日から既に1ヶ月以上経っていることに驚きつつ、出会いと決断の多かった濃密な大学生活を振り返って感慨深く感じます。

 

いざ入部し、実里留さん、花さん、美緒さん、芽吹さんに大変優しく業務を教えていただきながら、私が柔道部に貢献できることはなんだろうとずっと考えていました。部員と打ち解け、頼られる存在となっている先輩マネージャーの姿を見て、私もいつかそんなふうになれたらと強く憧れを抱きました。そんな中、先輩方に習字を長く続けていることを話すと、部に活かせるよと仰っていただけたこともあり、まずはSNS投稿用に同期の名前を毛筆で書くという仕事にありつくことができました。この調子で、部を盛り上げるために私ができることを一つ一つ探していきたい所存です。

同期マネージャーは旧知の仲の加藤すみれの他、大学からの水野愛理も加わり、この3人で取り組んでいけることを大変嬉しく思い、これからの柔道部生活に胸を弾ませています。感謝なんかされず当然と思っているマネージャー業務に、欠かさずお礼を言ってくださる部員たちの姿勢には私たちも見習うことが多く、全力で頑張る皆を私たちも全力で応援しようね、と常々話しています。

同期部員とは、最初は声の掛け方が分からずこのまま距離が空いたままなのかと不安でしたが、ご飯会を開催しなよという先輩の後押しのおかげで今では大変仲良くなることができました。汗を滴らせながら相手と組み合う真剣な顔しか知らなかったので、とっつき難く怖いように思っていましたが、なんだか抜けていたりエピソードトークが得意だったりと愉快な一面も知り、今では全員が親しみやすく感じ、大好きです。同じ授業を取っていたり、友達と幼稚園が一緒だったり、実は家が近かったりと、部員たちと話すごとに発見があり、これからも長い付き合いの中で絆を深めていきたいです。部員たちのお茶目な面も知った一方、乱取り中の身体と身体をぶつけ合い何度も立ち上がる姿というのはやはり1番素敵で、一心に尊敬の意でいっぱいになります。早くそんな皆さんが立つ試合を応援することが楽しみです。

 

大学生活の中で柔道部という居場所を見つけられたことはきっと私の人生の大きな功績で、連れてきてくれた加藤すみれと、入部を決意した1ヶ月前の自分には感謝しかありません。今のところ楽しいことばかりですが、続けていれば辛いこともあるはずで、それでも柔道部に入部したことを後悔することはないだろうと確信しております。私は資格取得を目指していることもあり、柔道部以外の時間はメディアセンターに篭ることを目標としています。勉強との両立で悩むこともあるかと思いますが、柔道部の皆さんの尊敬できる姿を吸収し、ご迷惑をかけないよう精一杯努めさせていただきます。

ここまで、長文かつ稚拙な内容にも関わらず最後までお目通しいただき大変恐縮の限りです。少しでも私のことを知っていただけましたら幸いです。最後になりましたが、私を柔道部に温かく迎え入れてくださった先輩方、同期の皆、誠にありがとうございます。至らない点ばかりですが今後ともご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いします。