こんにちは。入道隼人です。
約1ヶ月前の事ですが、「カタルシスト」が集い、凌ぎを削り合う東京都学生柔道優勝大会で勝利を収め、私の代の念願であり、昨年の先輩方の絶対に落としてはならないバトンであった念願の1部復帰を果たす事が出来ました。OBOGの先輩方におかれましては、ご指導、ご声援を頂き、誠にありがとうございました。
来る全日本学生柔道優勝大会では万全の準備をして、1個でも多くの勝利をもぎ取りたいと思います。
こうして一つ一つの試合が終わる毎に、現役部員としての役目が終わる事に寂しさを感じるのと共に、今まで行ってきた柔道に区切りが付き、これからの人生をよく考えます。ちょうどそんな時に大学での講義で「死」について考える機会があったので、少し考えてみました。
哲学の授業で扱われたテーマでしたが、現役終了という一つの区切りを前にした私には、特別に深く響くものがありました。
人生あっという間だなーと思ってた1年生の時の部員日記(22年7月)で書かせて頂いたのですが、「人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)」つまり、年齢を重ねるにつれて時間の流れが速く感じられるようになる現象をジェネーの法則と言います。
本当にその通りで毎年毎年充実しているお陰か早くなる様に感じます。特に大学3年、4年と学年が上がるにつれて、責任ある立場を任され、後輩の指導にも携わるようになりました。充実した日々を送れば送るほど、時間の流れは加速していくように感じられます。
それと同時にぼーっとしてたら人生なんて、すぐ終わっちゃうんだろうなと思い、焦燥感に駆られます。毎日を漫然と過ごしていては、気がついた時には取り返しのつかない時間が過ぎてしまっているのではないかという不安が頭をよぎります。
死ぬって色んな捉え方があります。某有名格闘家兼実業家は「常に死んでいいと思っている」と言っていてそのくらい日々一日一日を真剣に生きていると言っています。この言葉は、死を恐れることなく、むしろ死を意識することで今この瞬間を大切に生きるという哲学を表しているのでしょう。一方で一般的には死ぬって怖いとか考えた事も無いという人もいます。死について真剣に向き合うことで、逆に生きることの意味や価値を深く考えるきっかけになるのかもしれません。
ハイデガーは「死への存在」という概念で、死を意識することで真正な生き方が可能になると説きました。死は誰にでも平等に訪れる絶対的な終わりですが、だからこそその手前にある「今」が貴重になるのです。
私自身「死」という事に関してどちらかと言うとあまり考えたくなく、怖いと思うタイプでした。しかし、死を意識することは「今」を豊かにするのかもしれません。
死に物狂いで頑張ります。
おしまい。