6歳のあの日、綱町道場の隅で怯えていた自分が、今こうして引退の日誌を書いている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。入道隼人です。

この4年間、月に1回、悩み続けてきた部員日誌も今回で最後となりました。

まずはこの場をお借りして、ご指導ご鞭撻を賜りました先生方、先輩方、そして苦楽を共にした仲間と家族に深く感謝申し上げます。私が慶應義塾體育會柔道部の一員として全うできたのは、ひとえに皆さまのおかげです。本当にありがとうございました。 今後とも入道隼人をよろしくお願いいたします。

 

 

今まで通り今回も「私らしく」部員日誌を書いていこうと思います。

10年前、小学生の頃。 中学受験の勉強をしながら先輩方の部員日誌を読み、「慶應に行くぞ」と自分を奮い立たせていました。そんな一人のファンだった私が書く側に回り、遂に引退日誌を綴ることになりました。

長めに書いたり、哲学を書いて「お前が哲学語んな」って言われたり、短過ぎて「ツイートか」って言われたり。この4年間でたくさんの部員日誌を書いてきましたが、何が正解か分かりませんでした。しかし、正解も間違いも無く、その時の「リアル」を書くのが部員日誌なのかもしれません。

ということで、最後は引退を前に思う「リアル」と、これまでの柔道人生を書いて、私の最後の部員日誌とします。

柔道を始めたのは年長さん(6歳)の時に地元の道場に連れて行ってもらったのがきっかけでした。2つの道場を見学し、小学生の人数が多い方を選んだ事を覚えています。 その半年後。冒頭のタイトルにもある通り、記憶がある中で私が初めて慶應柔道部に足を踏み入れたのは、6歳の時の寒稽古でした。(どうやら柔道着を着ていない頃から寒稽古には参加させて頂いていたみたいですが)

柔道を始めたての私にとって、今とは違って暖房もない綱町道場は極寒の世界。その中で白い湯気を立てて乱取りをし合う大学生たちは、人間ではなく**「ゴリラ」**だと思っていました。 父に「ちょっと待っていて」と言われ、道場の端で震えていた時、ゴリラと思っていた大学生に「乱取りやろう」と声をかけられました。(今思うと多分100kg級の先輩)。正直、本気で食われると思っていたし、超怖かったです。

しかし、帰り道では「怖かったけど、あんな強い人になってみたいな」とも思っていました。

そんなこんなで小学生時代は地元の道場で週2回、土曜日は父に連れられ幼稚舎の稽古に参加させて頂き、週3回の稽古に励んでいました。

毎週土曜日、幼稚舎の稽古に行った際、一緒に稽古をしてくれた中等部生や、幼稚園生の時に「恐怖と憧れ」を持った柔道部の先輩たち。彼らのような仲間になりたいと思い慶應義塾中等部の受験に挑戦し、無事合格を頂きました。

中等部合格と共に、私はある決意をしました。大学生までの10年間で全国大会に出場するという**「10年計画」**です。 絶対に強くなって、あの時の大学生(ゴリラのように強かった彼ら)になるんだ、と目指しはじめました。

中等部に入学したのと同時に、柔道の総本山「講道館」にある「春日柔道クラブ」に通い始めました。通わせた父の狙いは違ったかもしれませんが、私が通い始めたきっかけは単純です。「日本一を輩出している道場だから、そこで稽古をすれば自分も日本一になれる」と思ったからです。

講道館では柔道が強くなる為に稽古を積み、技術を習いました。結果、中学1年生の時は都大会に出場も出来ないただの中学生でしたが、3年生になった時には東京都で3位になり、代表として関東大会に出場する事が出来ました。 諸先輩方や後輩達の様な華々しい「全中○位」の様な結果では無かったですが、何者でもない私が東京都を背負って戦うという経験は、貴重な財産となりました。

しかし、それ以上に柔道を通じた「人としての成長」というものを学ばせて頂きました。「精力善用・自他共栄」から始まり、「順道制勝」「三様の稽古」等、前回の日誌でも触れましたが、現在の柔道人としての礎を築いてもらいました。
私の手足の長さを活かしたうざったい柔道いわゆる「ウザ柔」も講道館で身に付けました。

 

 

そして、満を持して入部した塾高柔道部。入部に迷いは無く、当時の私の実力からすると到底叶える事が出来ない目標で公言した事は無かったですが、目標は「高2で全国」でした。しかし、現実は甘くなく、気づけば稽古についていくだけで精一杯。毎日先生には怒られ、いつからか「強くなること」ではなく、「日々の稽古を乗り切ること」が目標に成り下がってしまいました。結果一度も全国に出場する事は叶いませんでした。

毎日諦めずに叱ってくれた鏑木先生、全然相手にもならない私に稽古で胸を貸してくださり、ご指導をしてくださった古賀先生には、結果で恩返しをする事が出来ませんでした。
鏑木先生のたくさんの教えや古賀先生の「優しさは強さである。しかし、その優しさをどういう方向持っていくかは自分次第である」という言葉は今でも心に刻んでいます。

 

 

そして大学での4年間。 中等部、塾高を含め慶應柔道部員として過ごした計10年間が終わろうとしています。 結果だけを見れば、小学生の時に「10年計画」で思い描いていた「なりたい姿」には、なれていないのかもしれません。

しかし、教科書には載っていない、人生において大切なことを、この「慶應義塾體育會柔道部」という家のような場所で私は学ぶ事が出来たと確信しています。そして私は多少は豊かな人間になれたのかな?とも思います。

11月22日をもって、私は現役選手としての「呪縛」から解放されます。 私が「呪縛」だと思っていたものは、いつの間にか私自身を支える「太く強い根」になっていました。 「やらされている」と思っていた稽古は、いつの間にか「大好きな柔道を出来る場所」に変わっていました。

これからの人生、「柔道人」として生きていく事になるでしょう。ここで学ばせて頂いた事が糧となるでしょう。そしてきっと社会人になっても、ふらりとこの道場に吸い寄せられてしまう気がしています。

 

 

これからは一人のOBとして、そして変わらぬ慶應柔道部のファンとして、後輩たちの活躍を応援し続けたいと思います。

 

 

 

 

 

それでは、これまで私の柔道人生を支えて来てくださった方々に感謝の弁をここで述べさせて頂きます……と言いたい所なのですが。 それは早慶戦当日、講道館の畳の上で柔道をする姿をお見せする形で感謝を伝えさせてください。当日は言葉ではなく、「感謝」の柔道を出来たらと思います。

 

 

最後に。 私をこの素晴らしい世界に引きずり込んでくれた父、母。 そして、私の青春を形作ってくれた先輩方、同期、後輩たち。 ありがとうございます。

 

 

慶應柔道部人生10年、更には柔道人生17年間の集大成。 早慶戦、死力を尽くします。

 

 

 

入道隼人