こんにちは。緊急事態宣言から早一ヶ月。5月10日の今日は母の日ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

私、佐野はこのところ夢見が悪く、「当たり前の幸せを失う夢」をよく見るので、日常の有り難みを噛み締めながら日々を過ごしています。

 

Fukishima 50

時間があるので、家で映画を観ています。『Fukushima 50』は今年の3月に公開され、間もなくコロナ騒ぎで映画館が開けられなくなってしまったのですが、AmazonのPrimeVideoで観ることができました。

私は原作も読んでいないので、「大きな感動で強いメッセージを伝えるタイプの映画かな」と観始めたのですが、内容は9年前を彷彿とさせる臨場感のあるノンフィクションで、現場の切迫感や苦悩が鮮明に描かれていました。観ていると、時間を追って「その時自分がどうしていたか」ということが思い出されるほどでした。それから10年も経たないうちに今こうして家から出られない生活をしているわけで、大変な時代を生きているなぁと感じます。

小学生の頃、チャレンジ○年生 的な通信教材の冊子で「おじいちゃん・おばあちゃんに戦争の話を聞いてみよう!」という号があり、それを見て「戦争体験って言ったって小学生の戦争体験がなんぼのもんじゃい」と感じた覚えがあります。昔の記憶というのは、良くも悪くも変化してしまうものだし、「自分には想像の及ばない辛い記憶」としての戦争体験を根掘り葉掘り聞き出すのもいかがなものかなぁと小学生ながら思っていました。

ところが、今から9年前を思い出して気づくことは、当時のことを案外鮮明に覚えているということです。幸い私の身近な人に不幸はなく、家も家族もある小学生の私ですら覚えているということは、戦争となれば誰もが鮮明に憶えていると思います。また、一口に「国難」といっても人によって立場が違うということも、小学生の私にはわかっていなかったことです。地震の被害の地域差と同じく、戦争の被害も地域によって当然異なります。目の前で家を失うこともあれば、実質的には新聞の向こう側の出来事であった人もいたはずです。書くまでもなく当然のことではあるのですが、小学生の自分には想像できない事実でした。

孫ができたら、嫌がられない程度に昔話をさせてほしいなと思います。

単に「経験した」ということ以上に、小学生から大学生くらいの間に何を体験したかということは重要です。就職活動でそこが聞かれるのもそのためだと思います。戦前戦後、3.11に続き、今の小学生以降は全く新しい世代と考えられるかもしれません。5Gネイティヴでしょうか。

時間があるので、そんなことを考えていました。

 

 

メジナの三枚おろし

私は魚屋の曾孫でして、名前も「匠海」といかにも魚を捌いていそうですが、実は魚を捌いたことがありませんでした。スーパーに500円のメジナが売られていたので、買って帰って三枚おろしにしてお刺身にしてみました。

魚自体は朝、県内の揚がりたてで新鮮そのものだったのですが、肝心の捌くところに時間がかかりすぎて、生温かくなってしまいました。食べるところも、魚からは想像できないほど小さくなってしまった(全部骨についていってしまった)ので、最後は適当にぶつ切りにして食べてしまいました。人間性ですね。

味は結構美味しかったです。次からはもっと食べるところが多くなるように頑張りたいと思います。

 

 

今月の一枚は、後日捌いたウマヅラハギです。

顔が似てると言われますが、似てないと思います。

おわり。