こんにちは。商学部4年の高です。
9月に入り、柔道部の最高学年として活動する日数もあとわずかになってまいりました。きっとこのつながりは社会人になっても、おじいちゃんになっても途切れることはないのだろうなあと思いつつ、恭平と同じように現役の先輩として後輩と過ごすことができる「今」はとても貴重な時間であると心から感じます。
先輩後輩関係って色々な意味ですごく難しいですよね。どうしても上下がある以上、「友達」とは違った関係性になることは避けられません。充実した関係であれば人生を彩るキーパーソンになりますが、一方であまり良好ではない関係になってしまえば毎日の憂鬱ストレス製造機になりかねないでしょう。
さて、今回のテーマは僕の最も好きな太宰治の作品にちなんで「正義」と「微笑」で行こうと思います。空想論者のお出まし、お付き合いいただければ幸いです。
まずは「正義」から。
先日、後輩の成宮と「正義は存在するか」というテーマである派とない派に分かれて30分だけ小議論をしました。正義の定義は「人の道にかなっていて正しいこと」とされていますが、論点はいわゆる「普遍的」な正義が存在するか、というところでした。さすがはディベートをメインに活動する某名門ゼミに所属している成宮君、怖い顔と言葉でたくさん責め立てられて経営学ゼミの僕は大泣きでした。きっと普段のゼミでも大活躍していることが容易に想像できます。
たしか議論で結論が出なかったはずなので成宮には申し訳ないですが、ここで勝手に自分なりの結論を出してしまおうと思います。普遍的な正義など存在しません。(個人の意見です。)
自分のことを正しくないと思って生きている人はどのくらいいるのでしょうか。どんな人でも自分が正しいと思っているから何かに期待します。正しいと信じて議論をするから、負けたときには怒り落胆します。ですが、大志の「自分ならできると思い続けること」はとても素敵な考えだなと感じました。
正義は行為ではなく同意で決まるので、その同意を得る手段として争いが生まれ、勝者は自分の正義が成されたことに快感を得ます。己の正義を束にして、常識という名前をつけてあげればそれを武器に正当に悪を殴ることができるのです。正当に酔いたいから、必死こいて芸能人の粗を探して袋叩きにするのでしょう。
多くの場合、悪役はヒーローの正義に成すすべなく敗れてしまいますが、悪役にだって正義=闘う理由はあります。そして悪役は口をそろえてこう言います、「正しいことがすべてだろうか」と。誰かを守るために誰かを傷つける、という構図はヒーローと悪役どちらにも共通していて、異なるのは守る人間の数だけです。それに気づいているから「悪」ではなく「悪役」なんだと思います。ヴィランに同情するくらいならまずヴィランと呼ぶのをやめるところから始めましょう。蓮太郎の言うように勝負の世界において勝敗の因果から逃れることはできませんが、いつだって勝者が正義だとは限らないものです。
極論、倫理の世界になら普遍的な正義があるもと考えましたが、きっとありません。
「人を殺しちゃいけないなんてことはないんです」/久能整(ミステリと言う勿れ)
僕の大好きな作品の名言です。戦場に行けば人を殺せば殺すほど人々から讃えられます。
ワンピースの世界では海軍が各々の正義を背負って海賊と戦うわけですが、誰もが一度は「海軍と海賊、果たしてどちらが正義なのだろう」と疑問を抱いてしまいます。尾田先生の考える正義の行く末はいかに。
ということでこれが僕の出した結論ですがいかがでしょうか、成宮君。だから何だって?
人を正しさで殴るのは間違っているのかもしれないって話です。普遍的な正義などないのだから。南雲の「エンジョイ柔道」の精神、すごくいいと思います。だから常識は壊すんじゃなくて疑うことが大事なんです、多分。
後半参ります、「微笑」について。
ほほえみ、幸福。結婚式で澤田が感じた「幸せに包まれた空間」という表現がすごくいいなあと感じました。コリーの幸せはビールと油そば、これもとっても共感できます。
勉学に励み、友達を作り、常識を学び、課題に挑戦し、大学に入り、就職して稼ぎ、家庭を持つ。そんなステレオタイプな幸福ですら多大な時間と労力を要します。未来にはそんな苦労や難題を乗り越えた後に手に入れたナニカを見て、「で?」と感じる可能性が少しでもあるのが怖い。
この話題面白くないので「微小」にテーマ変更します。
「一流とそれ以外を分けるモノは、自身が持つ視点の数に他ならない」
(ジャンケットバンクより)
簡単に言えば「見る目」を持たないものは、持つものに敵わない。見る目には2種類あるそうです。
①大空から遥か彼方を見渡すような揺るぎない大きな目
②他人の目から見れば妄執の類に映るほど「微小」なモノを見逃さない無数の小さな目
はじめてこの話を聞いたとき、不思議と腹に落ちた感覚を覚えています。
柔道に例えてみましょう。ここでは「目」というよりは「感覚」だと思います。
①は試合全体を把握する感覚。高いレベルになると試合中でも試合展開や流れ、残り時間や勝つためにしなければいけないことを正確に把握することが求められます。監督やコーチの指示である程度把握することは可能ですが、自分で把握できるに越したことはありません。
②は試合中の相手の微小な変化を把握する感覚。わずかに引き手の力が弱まったり、30秒前よりも息が上がっていたり、軸足が数ミリ浮いていたり。実際に組み合わないとわからない、わかってもスルーしてしまうほどのチャンスを感じ取ることができるかどうかで全然違うなと思います。
次は組織で考えてみます。
組織の中でも役割によって求められる目の優先順位は異なるでしょうが、どちらも備えてこその一流です。リーダーだからと言ってそれぞれの組織成員の微小な変化を見落としてはきっと信頼に足りませんし、サポーターだからと言って視野を広く持って組織全体を俯瞰した上で自ら行動しなければロボットになってしまいます。見る目を持つことが、文乃ちゃんの言う「頑張るべきとき」を見定めるための第一歩なのかもしれません。
そしてその延長に「人間関係」があるのだと思います。
友人関係や恋人関係など大抵の人間関係においては「気遣い」が求められます。気遣いこそわかりやすい「視点の数」だと思いますが、この視点の手に入れるのは簡単じゃないはずです。きっと普段からのたゆまぬ努力と経験からしか得られないのが見る目なのでしょう。彩ちゃんの「○○しない」も、人間関係においてきっととても重要で尊敬します。(傷つけない、がっかりさせない、とか。)
普段のLINEや会話一つとっても無意識的に高圧的になっていたり生意気な発言をしていたり、他人意見を聞いているようで端から聞き入れていなかったり。そんな些細なことの積み重ねが人間関係を築いていることを大学生活で実感しております。
もっと面白いのは先輩後輩関係で、冒頭でも言った通り上下関係が存在する以上どちらにも偽りがほぼ確実に生まれます。ここでメインになるのは「他人からどう見られているかを把握する目」です。
本当は性格が苦手な後輩の面倒を見ないといけないことや、ちっとも面白くない先輩の冗談に笑わなければならないこと、楽しくもない食事に誘われることもたくさんあるでしょう。上述の見る目を持たなければ、そんな隠れた真実に気が付かないまま不毛な関係を続けることになってしまいます。ね、凱一。
偉そうに語っていますが、自分自身は仲いいと思っている後輩に実は嫌われている、そんなことがあったらとても悲しいです。というわけで残り3か月で少しでも後輩といい関係性を築けるよう「あるべき先輩の像」について考えたいと思います。皆さんはどんな理想像を持っていますでしょうか。
僕の考える「あるべき先輩像」は大きく2つです。
1つ目は「気づきを与えてくれる先輩」。叱ってくれる先輩に近いのかもしれませんが、それは正しさや正義で一方的に殴ることではありません。塾高からの直属の先輩である古澤先輩や前メンターの衣笠先輩にはたくさんの「気づき」をいただきました。時には少し情けない姿を見せたってそれすらもある意味の学びになるものです。
就職活動をしていた際にとある先輩からいただいた言葉がとても印象に残っています。
「自分の部下は自分からしか気づけない。だから自分が一番成長しないといけないんだ。」
「自分の視点と経験から得た正しさしか語れない大人のアドバイスは無視していい。」
叱るのではなく気づかせる、これはお互いに尊敬の念が無ければ成立しませんし、半学半教という慶應義塾の教育の本質であるように感じます。
2つ目は「一緒にお酒を飲みたいと思ってもらえるような先輩」。詳しい説明は必要ありません、ただただその一言に尽きると思います。大まじめです。これは先輩後輩ない気もしますが、本音を隠さずに語り合える存在になれたらいいなと思います。礼儀はもちろん重要ですが、上辺だけでお互いに気を使い合う関係ではベストな関係とは言えないでしょう。謙太、失恋したら是非是非飲みに誘ってね。誘ってもらえるように精進します。
何がパワハラだ。何が正しいだ。いつも自分が被害者面して正義を謳うのは自分中心の考え方をするやつらだけだ。正しいことを正しいと言いたい。それはわかる、確かにあなたは正しい。でもあなたの言葉は正しいだけ。正論を言うだけなら小学生でもできる。いいか?正しいか正しくないかの前に、その言葉や行動が相手にどんな影響を与えるかを考えられるのが大人だ。
自分の意見は常に尊重されるべきと思っているんだよね、甘えやがって。
人を殺したいなら紛争地域に行けばいい。そこでは殺人が正当化される。ただし自分が殺されても文句を言うな。人を殺してはいけないとされている場所で暴れてその場所を壊そうとするな。
パワハラだと感じるなら飲みの誘いは断ればいい。ただし何もしてもらえなくても文句は言うな。他人に対して何一つ尽くすつもりがないなら、他人に同じような対応されても仕方ないんだから。
正義と微小。
常識に捉われないことと見る目を持つこと。
うるせえ蝉よりうるせえ奴らに告げる。お前が嫌いだ。
おわり。