こんばんは。織茂友多郎です。

家で弟に技の説明をしていたところ、「技術の習得方法」について様々な考えが溢れてきました。
あまりにまとまりのない思考だったので、この場を借りて整理していきたいと思います。
(注:あくまで柔道家としても学生としても未熟な私の考察なので、お手柔らかに)

まず、柔道における「技術の習得方法」を2つに分けます。

1つ目は、「外部の技術の習得」で、
2つ目は、「内部の技術の習得」です。

1つ目の「外部の技術の習得」とは、

「外部の確立された技術」を誰かに教えてもらう。もしくは、盗むことによって自身のものにすることです。
小学生の道場など初心者〜中級者までの環境は、あくまで教わる場、つまり「外部の技術の習得」の割合が多いと感じます。

2つ目の「内部の技術の習得」とは、

「自身」で技術を開発したり、ノウハウを獲得することです。
大学生や社会人などの中級者〜上級者の環境は、自身で考える場、つまり「内部の技術の習得」の割合が多いと感じます。

→また、この「内部の技術の習得」には2種類の手段があると考えます。

それは”論理型””反復型”の2つです。

“論理型”では、「なぜ?」を重要視し、細かい情報を一つ一つ積み重ねていきます。

初めに「背負い投げはこの崩し方が良い」や「背負い投げはこの入り方が良い」といった情報を私は持っていると想定しましょう。
しかし、このままでは大きすぎて積み重ねることができないので、これらに対して「なぜ?」を問いかけ、ニュアンスを細かくしていきます。

・「背負い投げはこの崩し方が良い」→「なぜ、この崩し方なのか?」→「この方向にこの角度で引くと、相手の重心をこの場所に誘導できるから」
・「背負い投げはこの入り方が良い」→「なぜ、この形なのか?」→「この形だと相手の前方向のベクトルを減少させないから」といった感じです。

ここまで細かくすることができれば、あとはペタペタと論理的に積み重ねていくだけです。
目的や問題点に対して、これらを積み重ねていき、ベストな形に落とし込めれば、オリジナルの技術の出来上がりです。

この”論理型”では、「情報が大きすぎる」or「ロジックが通っていない」場合には、良い技術は生み出せないので注意してください。

“反復型”では、ひたすら「反復」を行い、特徴を掴むことで技のノウハウを獲得します。

脳の仕組みを応用した「強化学習」や「ディープラーニング」と呼ばれるものがニュアンスとしては近い気がします。
大量のデータを与えると共に、報酬を設定することでモデルを改善していく手法です。
ここでのデータは「技の反復」で、報酬は「その技がうまくいくかどうか」です。
つまり、ひたすら理想の形になるまで、試行錯誤を重ね、特徴を掴んでいく手法です。

この“反復型”では、「データ数(反復量)が少ない」or「係数が低い」場合には、良い技術は生み出せないので注意してください。
この「係数」とは、「身体動作のセンス」で、0~1の値を取ります。
センスが悪い人の係数は0.3程度なので、0.9程度ある天才たちの3倍の時間が習得にかかります。

極限までシンプルにするとこんな感じになると思います。
技の完成度=センス×反復量+(アドバイスや練習方法などその他諸々)

ちなみに私のセンス(立ち技)は0.2程度だと思われます…

 

次に、上記の視点から自身の柔道人生を振り返ってみます。
[幼稚園生~小学生]

朝飛道場は、「外部の技術の習得」という点で最高の環境でした。
様々な技術を心ゆくまで吸収できる、図書館のようなオアシスです。
朝飛先生の膨大な知識量と多種多様なバックグラウンドを持った先生方がいるからこそ実現できる唯一無二の貴重な環境だと思います。

小学6年生の頃の毎週土曜日は10:00~16:00で食事も取らずにぶっ続けで研究していた記憶があります。
その時間があったからこそ、日整全国大会などで優勝できたと感じています…

[中学生~高校生]

ここでは、上記の「内部の技術の習得」をひたすら求められました。
私は中学に入る際、「どんな技術を教えてくれるのだろう」とワクワクして入ったのですが、言葉ベースで教えて頂いたのは小学校時代の10分の1程度の量でカルチャーショックを受けた記憶があります。
教えて頂く技術は”秘伝のタレ”的なトップレベルの技術ではありましたが、1から10まで全て教えるというスタンスではなかったです。

これは、「監督が教えるのが面倒臭い」などではなく「選手自身に考える力をつけさせる」という趣旨のもと、意図的に作られた状況です。
技術の習得ステップが10あるとしたら、1だけ教えて10までは見守るという方法です。
実業団などプロの世界で戦っていくには、この「考える力」つまり「内部の技術の習得」がどうしても必要になるからです。

この時代のおける私の大きな過ちは「内部の技術の習得」に”論理型”ではなく”反復型”を採用したことです。
2~10のステップが全く見えなかった私は、反復量で補おうとしました。
休憩時間や練習後に後輩にお願い(?)し、道場でひたすら研究していました。
(ゆうき、そうたろう、ゆきひと、まさ、みんなごめんよ…)

しかし、いくら自主練をしたところで、4時間程度ある練習の反復量を超えることはありません。
いくら頑張っても他の人に比べて反復量は1.5倍程度になるだけです。
それでは、身体的センスが他人の3分の1以下の私は、結局負けてしまいます。
こうして、いくら頑張っても他人の方が先に上達する状況に陥ってしまいました。

つまり、「センスの無い人が反復量、つまり努力量だけ勝負しよう」とするのはとても危険だということです。
センスの無い人ほど“論理型”で、つまりロジカルに考えないといけないのです。
高校3年の中盤でやっと気づけたのですが、遅すぎました。

(注:私の努力がmaxだったという訳ではないです…。まだまだ改善の余地はありました…。)

最後に、伝えたいこと

ここまで長々と書いてきましたが、思うことは一つです。
それは、「中学・高校時代の私に、この事を伝えたい」ということです。

タイムマシンがないのでそれは叶いませんが、周りを見ていると同じ問題に陥っている高校生達が目に付きます。
彼らは、私と同じように「努力こそが正義」という考えを持ち、間違っている事にすら気づけません。
私がやり直せないなら、せめて今の高校生達にはこの事を伝えたいです。

「努力は必須だが、センスの無い人ほど、ロジカルに考えろ」と。

 

 

 

おわり