皆様おはようございます。前々から部員日誌で書きたいと思っていた内容が同期の小野と丸被りしたため、何を書けばいいものか途方に暮れている環境2年の陶竜熙です。
前回の日誌投稿から起こった身近な出来事といえば、無事に20歳の誕生日を迎えて大人の階段をまた一歩昇ったことぐらいしかないので、今回は多少独り言のような脈絡のない文章になってしまいそうですが、お暇がある方だけ是非読み進めていただけると幸いです。
実は最近、朝活なるものを始めました。毎朝日の出、今の季節で言うと朝の4時半ごろに起きて活動をすると、どんどん頭が冴えてきて非常に有意義な時間が過ごせます。この日誌も投稿日の5時半ごろに書いている次第です。
朝起きると僕は決まって朝日を見て、そして空を見ているのですが、空を見ていると突拍子のないことを考え出すことがよく在ります。先日はこんなことを考えました。
“世界中、どんな人にもある共通点って何だろう”
突拍子もないですね、自分でも驚きました。でもこれが考えてみるとすごい面白いんです。例えば真っ先に浮かぶであろう、「住む家がある」とか「物を売ったり買ったりしている」と言ったような財産の話になると、どんな人でも持ってるわけではなく共通点なんてないんじゃないかとも思いました。でも、もっと頭を柔らかくして考えてみると、
「二足歩行をしている」、「みんな心臓で動いてる」、「皮膚で覆われている」、「時間に差はあれど必ず寝る」、「人を理解することができる」、「人を愛することができる」、
この通り、他にもいっぱい出てくるんですよ共通点が。話す言葉や文化が違えど、僕ら地球人はみんな似てるようです。
こう言ったことを考えていると、今度はまた違った疑問が出てきました。
“なぜこんなにも共通点があるのに肌の色だけで差別するのだろう”
ここまで読んでくださった根気のある方ならもう分かるかもしれません。そうです、色々迷いましたが、書くことにしました。実際の現場から遠く離れた場所にいる僕でも、なぜあの白人警官は殺さなければならなかったのか、なぜあの黒人男性は死ななければならなかったのか、関連のニュースを見るとそんな漠然とした疑問が出るばかりです。
僕は父が帰化するときに受けた偏見や差別の話を直接聞いたり、仲の良かった親友に自分のルーツを話しただけで距離を置かれたりしたくらいで、命の危機に瀕してしまうような差別は受けたことがありません。おそらく僕の受けた出来事は現地で生きている人から見れば毎日起こっている“日常“であり、それが世界の”常識“になってしまっているのかもしれません。だからこそこの問題に対して本当の意味で理解することはできないし、これから先もおそらくできません。
ただ、解ろうとする努力はやめたくないです。
先日もこの問題について調べていると、1960年頃から人種差別問題と戦っているJane Elliotさんという方が現地のニュースで考えを述べている映像を見ました。言葉を引用すると
There are not four five different races there’s only one race on the face of the earth and we’re all members of that race the human race.
“4つも5つも人種なんてない。地球上に人種は一つしかなく、そしてみんながそのメンバーである。それは人間種(Human race)だ”
僕はこの言葉に衝撃を受けました。まさにそうです、僕らはみんな人類、みんな同じ地球人じゃないかと。日本にいると小さなことですが、世界では偏見は非常に恐ろしい。でもその偏見も学んで身につくもので、学び直すことはいつでもできる。彼女はそうも言っていました。
おそらく今の世界の流れでは、11月の大統領選挙をピークに今後デモ活動は増えていくでしょうし、香港での出来事も条例が採択されてしまいデモ隊が強硬な手段に出ています。そんな中日本では、意味のない国会が続き、対して興味のない芸能人の不祥事をこねくり回し、11月にはGeorge Floydさんの死なんかみんな忘れてしまっているでしょう。でもその気になれば情報はどこにでもあるし、活動に参加することもできるし、理解しようとすることはできます。今を生きる僕たち若者が率先してこの問題を解ろうとしたら、たぶん10年後には違った未来になっているかもしれません。
僕は違った未来にできると思います。地球上どこからみても、空は繋がってますから。
またくさい文章で締めくくってしまいました、悪い癖ですね。
では、