こんばんは。4年の齋藤渉です。

2週間ほど前に、初めて品川二郎に行きました。一緒に行った稲葉くんがラーメンが来て早々にスープをテーブルにぶちまけるという粗相をかまし、非常に恥ずかしかったです。そのインパクトが強すぎて、味はほとんど覚えていません。最後の二郎日記がこんなんで終わるとは。笑

やっぱり二郎は三田が美味しいです。親父の親指の出汁に敵うものはありません。引退後も継続的に通いたいと思います。まだ二郎に行ったことがない人は是非、一緒に行きましょう。

話は変わります。早慶戦が3日後に迫ってきました。あと練習が2回で6歳から続けてきた柔道人生が終わると思うと、なんとも言えない感情になります。

大学2年生の冬に膝を怪我して、ようやく復帰できたかと思えば1ヶ月持たず、3年の12月にすぐに同じ場所をまた怪我しました。手術をするか、否か。あと1年間この膝の状態で柔道をする自信がなかった私は、もう一度手術をすることにしました。この決断はずっと目標にしていた全日本学生や講道館杯を諦めなければならないというものです。病院からの帰り道に地元の道場の先生に電話をし、この決断を伝えた時に泣いてしまったのをよく覚えています。

小学生の頃、県の決勝で何回も負けて全国大会に出れず。団体戦はいつも補欠。

中学生2年生の時は県大会と北信越大会の決勝で負け。中学3年生の時は県の準決勝で、同じ道場の後輩に負け。

高校生の時のインターハイ予選は準決勝で負け、県ジュニアは決勝で負け、関東ジュニアはエイトで負け。

大学生になってからも、東京都ジュニアのエイトで負け。

あと一歩で全国にいけるのに、いつも負けてばかりの弱いままの柔道人生でした。

痛いし、疲れるし、勝てねーし、もう頑張るのをやめて、適当に楽してサボって柔道部にいるだけでもいいかなーなんて思ったことは何回もあります。

それでも、全日本学生の直後に、「わたるには早慶戦に期待してるから」とLINEをくれるいつも辛い時に支えてくれる先輩。

僕の練習を見るのが一番好きと言ってくれる人。

高校の時から、試合の時は朝早く起きて美味しい弁当を作って新潟からわざわざ神奈川まで応援に来てくれて、帰省すると疲れ切った僕に何も言わずに小さい頃から好きだったご飯を作ってくれる母親。

そんな人たちが僕を奮い立たせてくれて、なんとかここまでやってこれました。本当に有難うございます。

最後の最後くらい勝って、あと一歩の勝てない柔道人生を終わらせたいと思います。