こんばんは。
主務の小野佑眞です。
最近は、段々と空気が冷え込んできましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。六徳舎では暖房がつきはじめ、恒例の「夏は寒くて、冬は熱い」寮生活を過ごさせていただいております。

なんて、六徳舎の近況を日誌で綴るのも最後になってしまいました。入部当初、篠原先輩や岡崎先輩、日時本先輩の部員日誌を読み、僕もこんな文章を書いてみたいと思い、はや4年。真面目なことを書いてみたり、テイストを変えてふざけてみたり、飲み屋で気持ちよくなりながら書いてみたり、尾崎先輩に褒めていただいてめちゃくちゃ喜んでみたり。自分なりに試行錯誤して取り組んできました。内容はともかく、今となって読み返してみると我ながら結構書いたなと思います。そして時は経ち、僕は、僕の父のように、後輩の日誌を毎日楽しみに読むおじさんへと姿を変えます。高、吏輝、あかり、彩ちゃん、蓮太郎、ひろのちゃんなど、既に「推し」が何人かいますが、なんだかんだ部員のみんなは面倒くさがりながらも毎日書いてくれているので、今後も目が離せません。

さて、今回は何を書きましょうか。短く綺麗に終わるか、いつもどおり長く書くか、かなり迷いましたが、後者を選びます。いつもどおりですね。これはもう性です。思いの丈の整理を兼ねて、自分語りをさせていただきます。最後にもう少しだけお付き合いください。

 

実に感慨深いものがあります。

 

普通部に入学後、父の知り合いの鈴木淑博先生のお誘いにより、何気なく門戸を叩いた慶應柔道部。安藤先生や古屋先輩、木下先輩に柔道を教わりながらも、それ以外の殆どの時間を遊びながら過ごした中学時代。毎日が楽しすぎて、たくさんの経験をすることができました。SFC中の「日時本」を「にっときぽん」と読んだり、同期のピーダーセンに大会でボコボコにされたり、後輩の南雲が県大会出場を決めたのに授業で欠場して爆笑したこともありました。そして、高校進学時、中村朔先輩の勧めにより、僕は塾高柔道部への入部を決めました。

塾高での3年間は本当に地獄でした。もちろんここには書ききれませんが、たくさんの困難がありました。稽古量も実力差も、分かっていて入部したのに、毎日が憂鬱でした。ほぼ初心者の私にとって、週7日の二部練は耐え難く、何を目指して稽古をしているのかも分からないこともありました。でも僕には仲間がいました。同期の初心者の豪や、頭がキャンタマの浩太、髭が濃すぎる篠原先輩、エアガンを乱射する後藤先輩など、辛くとも笑かし合い、ときに助け合う仲間が、いつもそばにいてくれました。帰り道、電車に飛び込もうと本気で考えたこと、谷口先輩のアドバイスを無視して教員室で正座させられたこと、高に内股で金的を喰らって治そうとしたら鏑木先生にめちゃくちゃ怒られたこと、颯太と大志と泣きそうになりながらインターバル14周を走ったこと。楽しい時も、嬉しい時も、自分が弱くて、ずるくて、情けない時も、どんなに苦しくても、そこには喜怒哀楽をともに感じる仲間がいて、だから僕はこの3年間を乗り越えることができました。実力がないながらも主将として1年間走り切ることができたのも同じ理由です。

 

塾高の頃から、僕の周りには最高の先輩や最高の同期、最高の後輩、すなわち、最高の「友」がいました。

 

大学に進学し、慶應義塾體育會柔道部に入部した時、僕には夢がありました。それは、「大学3年生の時に早慶戦に出場すること」です。父も戦った憧れの舞台に立つこと、それまで父を柔道で意識したことはあまりありませんでしたが、これだけは叶えたい夢でした。大学1年の頃、僕は素晴らしい同期に出会いました。晃希、廉也、竜生、絃希、ピーダー、キヌ、梨夏子、奈那、遥、そして浩太。皆が日誌で書いている通り、個性的な変な同期で、絶えず何らかのトラブルが発生していました。

柔道の面では、特に廉也にお世話になりました。授業の合間や稽古の後、試合の後など、背負投の打ち込みに何十回も何百回も付き合ってくれて、ようやく背負投の体をなした技を習得することができました。試合ではなかなかかかりませんが、以前鏑木先生が「こいつの背負投は300年はかからないと思ってたのに、ありがとうな廉也!」と仰られていたので多分間違いないです。皆さん知ってますか?廉也の背負投には1の背負いと2の背負いがあって、相四つ喧嘩四つ問わず、色んな使い分けがあるんですよ。懐かしいです、切に青春ですね。。

 

大学2年の頃、僕は六徳舎に入寮しました。今まで実家暮らしだった僕にとって寮生活というものは実に新鮮で、楽しくて、柔道部に染まれる環境でした。そしてコロナが襲来し、伝説の「六徳舎5人時代」が到来、岡崎先輩・篠原先輩・蓜島先輩・中内先輩とともに、毎日毎日僕は柔道部とともに暮らしました。細かいことは過去の日誌に綴ってありますが、とにかく、僕にとってこの寮生活というものは、本当に本当に、自分自身を成長させることができたと考えています。自分で生活をデザインし、仲間と語り、同じ釜の飯を食らい、同じ風呂に入る。自分の持つ塾柔道部人たるアイデンティティを確固たるものにすることができた大切な期間でした。そしてそれは、続いて入寮した陸雄がまさに今、体現していると思います。

一方で、苦しいこともありました。早慶戦の部内戦時、右膝の前十字靭帯を断裂。早慶戦は愚か、柔道が半年できなくなり、情けない日々を過ごしました。「手術です」と言われた時、絶望して泣きながら廉也に電話したのも、今となってはしんどい思い出です。ただその時も、多くの人がお見舞いにきてくれ、励ましてくれました。そのおかげで、僕はリハビリ期間を縮め、なんとか半年後の東京都ジュニアに出ることができました。

怪我の功名とはよく言ったもので、その頃から僕は「チームをよくするためにはどうしたいいのだろう」と考えるようになりました。ただでさえ実力の乏しい自分が怪我をし柔道ができない状況の中で、自分はどうしたら貢献できるのか、何をするべきなのか、六徳舎での会話を参考にしながら、自分なりに毎日考えました。そして、その解こそが「選手兼主務になり、マネージメントの面でも部に貢献する」ことだったのです。

 

大学3年の頃、左膝の前十字靭帯を切りました。涙は出ませんでした。なぜなら、自分のやるべきこと、部内での役割が明確に分かっていたからです。右膝のときと同じようにリハビリをし、3年生として、上級生として、部のことを考え、次年度に備える。それこそが僕のやるべきことでした。この怪我により、残念ながら夢であった3年生での早慶戦出場は叶いませんでしたが、その年、塾柔道部は「史上初の男子3連覇・女子初優勝」を飾りました。

中内先輩が胴上げされた瞬間は今でもよく覚えています。この瞬間を忘れてはならない、来年にも繋ぐぞと、そう感じていました。

 

仲間の笑顔とともに、そこには「誇り」がありました。

 

大学4年になり、僕は主務を拝命しました。
そこには、「責任」がありました。

 

出来て当たり前の仕事をこなして、部を円滑に運営する。誰にも知られることなく、感謝されることもなく、ただひたすらに裏方に徹する。それが主務に課された一番の義務であり使命でした。

そのはずなのに、僕は欲張りでした。主務として日々の業務に携わりながらも、幹部として、主将や副将とともに部運営にも深く関わりたい。そう強く思っていました。しかしもともと不器用な僕がそんなめちゃくちゃ大変な任務を2つ、十分にこなせるわけもなく、どっちつかずの日々が続いていました。いや、それは今も同じなのかもしれません。そしてそれは明確な期限や準備がある主務業によく影響し、大会出場費の振り込みを忘れる、マネージャーに雑に仕事をふる、監督に言われたことをそのままにする等々。数えだすとキリがないくらい、よく粗相をかましていました。(シンプルに仕事が遅いだけなのですが。。)そしてその度に僕は、マネの子たちに助けられていました。僕の焦りやたじろぎを感じていた部員は少なからずいると思います。

幹部・主務として最後の1年間を過ごすにあたり、衝突や困難もたくさんありました。幹部皆で考えた施策が全く機能せず、日吉のスタバで杉村と泣きかけたこともありました。(多分杉村は泣いてた。)マネージャーの奈那たちと衝突し、泣かせてしまったこともありました。こうして美化するのもよくないですが、各々が部活動に対して本気で取り組んでいたがゆえ、ぶつかることもあったのだと思います。

たったの1年間ではありますが、僕たちは「組織運営の難しさ」を多分に感じ、学びました。そして圧倒的に成長できたと、そう思います。残念ながら名主務にはなれませんでしたが、自分なりにチームのことを日々考え、足掻き、解を導き出すことはできました。主務としての大義名分を果たすことが本来求められる姿ではありますが、これはこれで、僕なりの主務の形を体現できたのではないかと思います。

そして今、最後の早慶戦がやってきました。僕の最大のミッションは変わらず、2つあります。「早慶戦優勝」と「早慶戦成功」です。正直、ほんの少しだけ大変です。過去の主務の方々が最後の日誌で書かれているように、早慶戦の準備、こと講道館での開催はめちゃくちゃ緊張します。日々忙殺されるとはこのことかと、社会人になる前に体感することができております。不器用な僕ではありますが、この2つのミッションを完遂できるよう、最後の最後まで頑張ります。

 

少し書きすぎてしまいました。そろそろ終わらないと、また依田に「おもんないのに長ったらしく書いてるな」と言われてしまいます。

 

最後に感謝の言葉を述べさせていただきます。

家族へ

今まで僕の柔道部生活を支えてくれて、本当にありがとうございました。言葉も出ないくらい、感謝しています。親父は柔道のことは口出ししてこなかったけど、柔道部のことはよく話してくれました。父と子で考え方はそれぞれですが、柔道部への想いは同じものをもつことができたと、確信しています。お母さんは言わずもがな、塾高の頃から本当に毎日迷惑をかけました。本当にありがとうございました。途中から寮に出たけれど、たまに会って家の飯を食べるのが実は楽しみでした。妹は変わりゆく僕の体型を白目で見ていたけど、我道を進む姿を少しだけ尊敬しています。ノアは可愛すぎて疲れ吹っ飛びました。

鏑木先生へ

高大の7年間、本当にお世話になりました。ありがとうございました。主将になった時も、主務になった時も、「お前で大丈夫か!?」と言っていただき毎度少し凹んでいましたが、先生のおかげで7年間頑張ることができました。先生の目に僕がどう映っているかは存じ上げませんが、少しでも変わることが出来ていたら嬉しいです。未熟者ではありますが、謙虚に、引き続き前に進んでいこうと思います。

先輩方へ

六徳舎の先輩方をはじめ、日々稽古をつけていただいた先輩、様々なことを指導してくださった先輩、本当にお世話になりました。主務として働く中で、この部における先輩方の偉大さ、ご支援のありがたさ、環境のありがたさを強く強く痛感しました。早慶戦の前に、篠原先輩をはじめたくさんの先輩方稽古にお越しになり、場を盛り上げてくれ、その時僕は本当にありがたいと思いました。まさに士気上げ隊長でした(ハジさん)。早慶戦が終わったら、浴びるほどお酒を飲みたいので、今後とも何卒よろしくお願い致します。

同期へ

いつもありがとう。大変お世話になっております。終始なんか揉めてたけど、なんだかんだ楽しかったです。特に浩太、日誌のお返しみたいになるけど、7年間本当にありがとう。団体戦は金鷲旗以来だね、最後勝って終わりましょい。梨夏子、人数が少ない中。女子主将として全国準優勝、本当にすごいし、柔道に対する姿勢を尊敬しています。廉也は言わずもがな、また今度酒でも飲みながら謝辞述べます。依田はうるさいから何も言わないです。あ、でも今後ともよろしく。ピーダーはイギリス頑張れ。

後輩へ

3年間、塾高勢はマックス6年間、ついてきてくれてありがとう。現うちパの大志、初代うちパの謙太、メンターっ子の陸也、ほぼアナーキーの恭平、努力家の雅士と凱一、酒の努力家のコリー、同部屋の井口、1年選手の入道。あとさっき一緒に銭湯に行った澤田。書ききれないけどみんな頼もしい後輩です。智宏に「佑眞さんは引退しても稽古きますよね?」と言われましたが、それは分かりません。とにかく、早慶戦、なんとしても勝ちましょう。

マネージャーへ

1年間大変ご迷惑をおかけしました。溜まっている鬱憤は酒の席で晴らしていただきたく存じます。まずは奈那、今まで本当にありがとう。本当に本当に助かりました。仕事、人間関係など、辛い思いをさせてしまったことが多く、頭が上がりません。そして、遥。パンフ作成や各種の申請等の事務を常に支えてくれて助かりました。早慶戦ぜひ見に来てね。そんで、文乃ちゃん。会計をはじめ、正確無比な仕事、真摯な仕事に対する姿勢を尊敬しています。ちょっと怖かったけど、いい刺激になりました。彩ちゃんはTシャツありがとう。冗談です、どんなお願いにもとりあえず、うんと言って引き受けてくれて、かなり気を遣ってくれているなと感じていました。そのコミュ力の高さに本当に助けられました。実里留ちゃん、入部したてで何もわからないのにもかかわらず、ついてきてくれてありがとう。姉貴たちの姿を見て、今後も柔道部を支えてやってください。

最後に、晃希へ。

ガチで世話になりました。100回土下座しても頭が上がりません。こんなにも組織のことを考えに考え続け、行動できる人はこの世界にそんなにいないと思います。主務として辛い時、隣で平然と努力を続ける主将がいたから、弱音を吐ける主将がいたから、ここまでこれたと確信しています。打倒杉村で4年間やってきましたが、あと少しでした。やっぱり地味に強かったです。別に褒めてもいないし、器は小さいけど、これからも末永くよろしく頼みます。

 

まじで書きすぎてます。もう笑えないです。謝辞を述べましたが、ここまでたどり着いてる人はほとんどいないですよね。

 

あと3日もすれば、僕は引退します。次の代は、吏輝とあかりが引っ張ります。二人は今、とても大きなプレッシャーを感じていると思います。これから先、楽しいこともあるけれど、たくさんの辛いことやしんどいことがあると思います。でもその度に、2人助け合って、周りに頼って、己を信じて、自分たちのゴールへ突き進んでほしいと思います。二人が安心して次のバトンを受け取れるよう、杉村とともに最後まで責務を全うします。

 

「塾柔道部を愛すること」

これこそが、我が部で柔道をする中で、最も大切で、貴重で、誉れ高きことだと思います。慶應義塾體育會柔道部という組織は強くあらねばなりません。部のことを自分ごと化して捉え、日々思いを馳せ、奔走する。その先に、部の成長、人生の充実があると思います。そしてそれは、部を卒業しても同じです。ここで育んだ仲間との信頼関係や人しての力は揺るぎないものです。僕たちには、それらを駆使して、今度は会社を、日本を引っ張っていく力があると、大真面目に思っています。

本当に書きすぎました。どうやら僕には文章をまとめる力がないようです。多分怒っている人もいます。長すぎて、ろくに推敲もしていないですがそろそろ終わります。

 

最後の早慶戦、

一緒に戦う「友」がいます。

チーム杉村の「誇り」があります。

主務としての「責任」があります。

 

全ての想いを胸に、全身全霊で戦い抜きます。応援の程何卒よろしくお願いいたします。

小野