こんばんは

福島です。

数えるほどしか書いていませんが、部員日誌を書くのもこれが最後となりました。

同期のみんながまじめに部員日誌を書いていたので、少しまじめに書きたいと思います。

私が柔道を始めて17年が経ちました。

5歳の始めた頃は辞めたくて辞めたくて仕方がありませんでした。

なんでこんな痛くてきついことをしなければいけないのか、幼い頃の私には全く理解できませんでした。

小学校のとき、水泳も同時に習っており、親にどちらか1つに絞りなさいと言われた時に、私は迷わず水泳を選びました。

しかし、私の恩師は、柔道を辞める許可を下ろさず、自分が面倒を見るから続けさせてくれ、と親を説得し、ほどなくして辞めるはずだったはずの柔道を続け、続けるはずだった水泳を辞めているという、不思議な現象が起こりました。

その言葉通り、私の恩師は熱心に指導してくださり、少しずつ強くなることが出来ました。

中学に進学した時、地元の中学ではなく、福岡にある強豪校へと進んだわけですが、本当に毎日が地獄でした。

練習内容はおそらく日本一のきつさ、顧問の先生は間違いなく日本一怖い先生でした。

この毎日は家族が全力でサポートしてくれたおかげで乗り越えることが出来たと思っています。

中学のことを書くと収まりきらないので、興味のある方は直接私に聞いてくれたらと思います。

当時は、顧問が怖すぎてまともに目を合わせることが出来ませんでしたが、いまでは帰省するたびに挨拶に行き、目を見ながら笑えるようになったので私も成長したもんだ、と感じます。

高校に入学しても、新しく怖い顧問の先生に出会い、小、中、高と怖い先生コンプリートを達成することが出来ました。

個人的には中学の先生が1番怖かったですね

高校のときは、先輩、同期、後輩と本当に家族のような存在で、毎日きつい練習を共に乗り越え、切磋琢磨で過ごしてきました。

大学、高校の部員の仲間たちは最高過ぎて言葉では表現できません。

この最高過ぎる仲間たちと過ごせたことは一生の宝物です。

つい2.3週間前までは早く引退して遊びたい、なんていう感情がありましたが、いざ引退を目前とすると、猛烈に柔道から離れるのが嫌になってきました。

こんなに痛くて辛い競技を私は大好きなんだなと、改めて実感しております

早慶戦まであと2日に迫り、17年間続けてきて、もはや生活の一部となっていた柔道が終わってしまいます。

これまで辛い道を進んできた自分を信じて、早稲田に勝つ、ただそれだけを考えます。

早慶戦が終わっても部員に会わないと寂しくて死んでしまうかもしれないので、ちょくちょく顔を出そうと思うので、後輩の皆さん、嫌な顔せず、迎え入れてくださいね。

早慶戦、みんなで勝ちましょう。

では、また。