お世話になっております。法学部法律学科4年の江波戸です。

 

先月末に日米通算4367安打を放ち、数々の金字塔を打ち立てた野球選手、イチローが引退しました。

イチロー選手は僕にとってはるか遠くの理想像であるため、その引退は衝撃でした。

 

彼が発してきた言葉はどれも重く、自分の行動規範になっているものが数多くあるのですが、その中で1つ紹介したいと思います。

 

「努力せずに何ができるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうじゃない。」

 

この言葉は非常に重く、かつ真理を捉えているのではないかと思います。

 

野球をしている人の多くは小学生のころから習い始め、イチローも地元のスポーツ少年団で野球を行う1人の少年に過ぎなかったと思います。

その時点で、周りとの差はなく、あったとしても大した差ではなかったと思います。

しかし、長い年月を経ってみると、その差は大きなものになっています。

 

この差は、結局「努力しているかどうか」だということをイチローは言っているのだと思います。

元々、能力に差などほとんどなく、差が生まれるのは、「努力するやつ」なのか「努力しないやつ」なのか、ということだけです。

しかし、人々はこの差を”天才”という一言で片付けようとするために、イチローは”天才”といわれることを嫌うのだと思います。

なぜならば、実際は周りが引くくらいの努力をしているからです。

 

自分はその「引くくらいの努力」をまだし続けていません。

つまり、結果を求めるなど100年早いということです。

残り半年の柔道部生活、過去を言い訳にせず、今までの自分の怠慢を言い訳にせず、ひたすら前を向いて行動し続けてまいります。

 

最後に、先程紹介した言葉の続きの部分を引用し、僕の部員日誌とさせて頂きます。

 

「努力せずに何ができるようになる人のことを”天才”というのなら、僕はそうじゃない。努力した結果、何かができるようになる人のことを”天才”というのなら、僕はそうだと思う。人が僕のことを努力せずに打てるんだと思うなら、それは間違いです。」

 

今後ともご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。

江波戸水紀