2016年、春。
満員電車がまだ楽しく、ようやく乗換案内を見らずに大学まで行けるようになってきた頃。
入学前から入ると決めていた陸上サークルでリレメンの座を勝ち取り、一生懸命、でもどこか物足りなさを感じながらトラックを走っていた大学1年生の4月。
ある日届いたLINEメッセージ。
「先日はLINE交換していただいてありがとうございました!柔道部来てみませんか!」
…あれ、私柔道部の人と連絡先交換したっけ?
当時、上京した直後で周りに友達もおらず、1人できょろきょろと大学内を歩き回っていた絶好の“カモ”(後日先輩談)だった私は気づけば両手にいっぱいの新歓のチラシ、スマホには大量の連絡先。柔道部の方の連絡先は、その中のたった一つに過ぎなかった。
「すみません、もう陸上サークル入ったので・・・」
「そうなんですね!でも一度来てみてください!」
他の部活やサークルは陸上サークルに入ったことを伝えると「頑張ってください!」で連絡が途絶えるのに、柔道部の先輩全然気にしてない。
「いや、ほんと陸上サークル入るので・・・」
「いつオフですか!ちょっとでいいので来てください!」
「あ、今日はサークル行くので・・・」
「明日はどうですか!土日も練習やってますよ!」
びっくりするくらい全然折れない。私だったら心折れてるな。どんな人なんだろ。会いに行ってみようかな。
恐る恐る道場に行ってみると、入った瞬間聞こえた歓声、
「女子が来たああああ!!!」
え、女ってだけでこんなに喜んでもらえるの?びっくりする反面、ちょっと嬉しかったのを今でもよく覚えています。
それから先輩とお話するうちにあれよあれよと決まっていた入部。
新歓期間、あのタイミングであの場所を歩いていなかったら絶対柔道部には入っていなかった。そんな奇跡。
人見知り(全然信じてもらえない)の私に部員さんたちは本当に温かかった。
同じ学生とは思えない偉大な4年生。
すごく話しかけてくれる3年生。
穏やかな雰囲気の2年生。
そして。
甘いマスクボーイ、水紀。
笑い声が聞こえると思ったら重夫。
愛されガキ大将、渉。
目つき怖い、絶対ヤンキーだ。純。
福岡出身なんだ、仲間だ。つっつー。
クラスメイトの友達らしい、郁磨。
ストイックギャグマシーン、なべ。
気付いたらいたばっきー。
1年生の同期の8人。
こんな個性の強すぎる仲間と共に、スタートした私の柔道部生活。
周りからはひたすら聞かれた「なんで柔道部?笑」「前やってたの?」
実際、柔道なんてしたことないし、やったこともない。
知識といえば「谷亮子は柔道が強い人」「相手の背中を畳に着ければ勝ち」くらい。
だから、柔道耳のことも知らなかったし(当初、この部活やけに変わった耳の形の人が多いなと思っていた)、ルールなんて1㎜も分からなかった。
でも、自分で勉強したり仲間に教えてもらったりするうちに少しずつ分かることが増えていった。
そして、奇しくも、柔道部に所属して間もないうちに悟った。
人を応援するよりは自分が頑張る方が好き。自分が頑張ったことは全て自分のためになってほしい。自分の頑張りを「数字」や「結果」という形で直結させたい。
・・・私、マネージャー向いてない。
今まで戦ってきたフィールドが、自分が好きで、かつ努力した結果が形として見えやすい「陸上競技」や「勉強」だっただけに、形の見えない「目標」のために人のために尽くす「マネージャー」の魅力はなかなかに難しいものだった。
最初の方こそ、どんどん新しい仕事が出来るようになり毎日が楽しかった。けれど、季節が過ぎ、夏休み、周りの友人達が遊び惚ける中、毎朝満員電車に乗ってはコップを洗う日々に。ただ同じことを繰り返すようになった日々の業務に。私何やってるんだろう、と考えるようになった。
それに拍車をかける部の変化。
今まで気にかけ、優しくしてくださっていた先輩方の引退。「やってくれてありがとう」が「やって当然」になり、「なんでもっとやってくれないの?」と変わっていく部内の視線。「自分が居ても居なくても部は変わらない」という現実。楽しいときも沢山あるけれど、ときに、悔しさとか悲しさとかやるせなさとかがごちゃごちゃした気持ちを抱え、その度に悩みながらマネージャー業務にあたっていた。
部活は楽しいし、みんないい人だし、たまにやり甲斐で悩むこともあるけどまあいっか。
自分なりに割り切り、それでもいいやと頑張っていたつもりだったけれど、ネガティブな感じを隠し切れていなかったのだろう、遂に同期の一人から言われた。今年8月中旬。
「お前、マネージャーのトップとしての自覚ないだろ。迷惑だから部活辞めろよ。」
部の役に立つどころか、部に悪影響を及ぼしているのだと。最初言われたときはショックで、ここまで言われるくらいなら辞めようと思い退部を申し出たものの、別の同期達と話す機会をもらい、ぽつりと言われた。
「早慶戦勝ちたいんじゃないの?」
ここで。ああそうだ、まだ勝ってない、辞めるわけにはいかないと目が覚めた。そこから、頑張るからまだ部に居させてくれと頼み、自分の考え方であったり、部の中での態度を必死に変える努力を始めた。
そして葛藤の中、ある日、ふと練習を観ているときに思い出した。
「あ、私、この練習を観て、かっこいいなあと思って入ったんだった。」
辛いことが続いて、気付けば目の前の作業の意義とかやる意味を考えてしまいがちだったけれど、損得ではなく、自分のためになるか否かでなく、純粋に「うわあすごい、かっこいい」と思って入部に踏み切った3年前を思い出した。
3年前はただの他人だった。でも今は、試合で応援するとき、自分の寿命が縮まってもいいから勝ってほしいと思える仲間になった。応援の尊さと、このチームなら大丈夫だと託す想いを知ることが出来た。このチームのおかげで。
私もう大丈夫だ。やっていける。今まで抱えていた葛藤が全て消えた。
このとき今年9月中旬、引退まで2カ月が迫るとき。
もっと早く変われていれば、もっと早い時期からいいマネージャーであれたかもしれない。遅かったな。けど、間に合わなくはなかったと信じたい。気づけてよかった。引退後に気付いていたら後悔してもしきれなかった。
厳しくも温かい同期のためにも、あと2カ月、一生懸命頑張ってみようかな。
・・・と決意してから経つ時間はあっという間で。泣いても笑っても早慶戦まであと9日。
うだるような暑さの中、凍えるような寒さの中、ドリンクを準備した日々が。
理不尽に怒られ、でも、ここで負けてたまるかと歯を食いしばり日吉の坂を上がったあの日々が。
自分が頑張ってもチームは強くならないと悟り、それでも事務作業に徹した日々が。
少しでも慶應の勝利に繋がりますように。
そして、
楽しいときも、私がぐれたときもずっと見守ってくださった先輩方が。
至らないところばかりだったのに、早紀さん、早紀さんと慕ってくれた後輩たちが。
時に思いきり楽しみ、時に苦しみ、泣いたり、怒ったり、対立したり、でもこの人たちがいるからやっていけると思わせてくれたマネージャーが。
どれだけ迷惑をかけても、部活を辞めると言っても、最後まで仲間に入れてくれた8人の同期が。
最後の日、勝利の喜びを味わえますように。
最後の集大成、早慶戦の日。
私は道着も着ないし、畳にも立たない。
受付や接待等の業務で仲間たちの全ての熱闘を目に焼き付けることもままならない。
でも。
それがどうしたというのだろう、と今は思う。
今の私に出来ることは、裏方として早慶戦を無事に運営しきること、仲間に想いを託すこと、そして柔道部を次の代に繋げること。
同期贔屓があるとしても、私達のチームならどんなチームとも戦えるし、澁沢が率いるチームなら、根拠はないけれど、絶対に大丈夫だと思っています。
選手の皆さんを心から応援すると共に、全員で、早慶戦獲りに行きましょう。
ラスト部員日誌終わり。
4年間書き続けた日誌も今日で最後、ついに皆勤賞でした。
PC係として部員の日誌更新に努めてくれた(くださった)猪狩さん、重夫、岡崎くん、改めて、心からありがとうございました。