こんばんはー!宮下です。
6月23日は何の日でしょう。
そう。沖縄慰霊の日です。
私は「沖縄戦を題材にした平和教育の有効性〜平和教育のあるべき姿〜」というテーマで、卒業論文を書いております。
終戦から75年が経ち、戦争を経験された方々の人口が減少していく中で、口頭での「語り継ぎ」による平和教育は限界を迎え、戦争体験の継承方法が課題となっています。ちょっと堅いテーマですが、平和教育について、考えを深めていきたいです。
沖縄戦に関して、ご存知の方が多いと思いますが、改めて書かさせてください。
75年前、米軍による本土上陸を遅らせるための捨て石の役割を担わされた沖縄。軍だけではなく、多くの住民も命を落としました。
沖縄戦は単なる敵国との攻防ではなかったと言われています。
「自国の軍隊による住民虐殺こそが沖縄戦の実相」であると、とある本に書いてありました。
歴史というものは面白いものです。立場、主義、受け取り方、また表現する言葉によって全く異なるストーリーになります。つまり一つの史実でも、見方によってはいろいろなヒストリーが出来上がってしまうのです。
例えば、実教出版日本史Bでは「日本軍により、県民が戦闘の妨げになるなどで集団自決に追い込まれたり」というものだったのが、2008年の教科書検定を受けて、「県民が日本軍の戦闘の妨げになるなどで集団自決に追いやられたり」と変更されました。日本軍という主語がなくなり、なぜ住民が集団自決に追いやられたのか、わからなくなりました。
何が事実かなんて一概には決められません。一つのものに対していろんな見方や視点があることを知り、その上で何が事実なのか見極める力が大切であると、ゼミの活動を通して私は学ぶことができました。
艦砲射撃や空襲に遭うこともなく、手榴弾を抱えて敵国の戦車の下に潜り込み自決することもなく、ガマで闇に怯え敵の軍と自国の軍隊に怯えることもなく、マラリアに苦しむこともなく、家族や親戚を自らが手にかけることもなく、飢えに苦しむこともなく、、、
平和な世界に生まれることができて、それだけで恵まれているんだな、と痛感しました。
戦後75年の夏、改めて戦争や平和について考えるべきだと思いました。
コロナはありますが、戦争のない現在の日本に生まれることができ、非常に幸運です。
これからも今日の平和な日本に感謝しながら、東京ディズニーリゾートに遊びに行きたいです。
コロナにはくれぐれも気をつけていきたいし、皆様もお気をつけください。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。