この前、気付きました。
俺氏(20)、選挙権あるじゃん!?
何を言っているんだと思われた方、しばし小生の戯言にお付き合いください。確かに今年21になります。もう泣く子も黙るアダルトです。でも、これまで選挙に行かないことが当然だった私は、すっかり有権者であることを忘れていたというのが正しいのかもしれません。昔からこういうそそっかしいところがあるので、直したなぁとたまに思います。今年は18歳の高校生も選挙に言っていると言うのに、、、成人の自覚足りてませんね。(泣)
長い合宿所生活が祟り、最近めっきり時事問題に疎くなった私です。しかし、東京都知事選挙が近づいていることくらいは知っています。(選挙権あること忘れてたくせに)
そもそも何で都知事選やってるんだっけ?舛添さんが政治と金の問題で叩かれたんだっけ。ってレベルでニュースに疎いです。
でもひとつ、都知事選に関する番組を見ていて思うことがありました。
今回の舛添さんの一件ってそんなに問題なの?
自分は危機意識が薄い方だと自覚していますが、どうも彼を憎む気になれないのです。確かに自分の金じゃないからと、割と贅沢三昧してたみたいですね。でも、その金って全体的に見たら全然大したことなくない?と思ってしまいます。人間性の話をしていることも分かってます。
街頭インタビューでは
「次はクリーンな方を選びます。」
「本当に都民のことを考えてくれる人が良いです。」
とマダムたちが。
でも、これを見る度に、何か違和感のようなものを感じてしまいます。確かにクリーンであることは政治家として大切なことです。しかし、それはあくまでイメージであって、実態が必ずしもそうである必要はないと私は思っています。別に舛添さんがいくらくすねようが、僕らの生活は何も変わらないわけだし。
「お金にだらしないけど政策を実現できる政治家」と「お金にきっちりしているけど政策を進められない政治家」。僕は前者に投票します。清潔なイメージなど、本来おまけでしかありません。あれだけお金の問題でしばかれた舛添さんほど適任はいないとさえ思っています。(笑)
断っておきますが、舛添信者では決してありません。何度も言いますが、政治とかには疎いです。
要は何を感じたかというと、結局ガマンが足りない。別に都政が傾いた訳でもないのに、あぶく銭のために都知事を交代。とっかえひっかえ頭を変えて、東京はアンパンマンか。有権者の方も、もう少し見守ることを覚えてもいいのかなと思ってしまいました。ですから、税金を大量に使いなおかつ都政を停滞させる「選挙」を今回はやらない、という可能性を考える価値は十分にあったはずです。と、昼下がりのテレビ番組を見ながら感じた、忌憚ない思いをつらつらと書き連ねているのは神奈川県在住、選挙権の存在を忘れていた今年21になる中山倫太郎でした。
テスト勉強を諦めて、深夜にこれを書いていたなんて誰にも言えない。